心一つに立ち上がれ!12.

 とつぜん破暮駅のホームに現れた一心じいちゃんのユウレイ。
 ユウレイとは、本来が透明であるべきはず。それが今、ぼくたちの目にハッキリと見えている。なぜ見えているかと言えば、心美ねえちゃんと勝蔵さんの熱い気持ちがあったからだと、一心じいちゃんのユウレイは言った。
 だとすると、きのうのぶどう畑で、ぼくの目にも一心じいちゃんの姿が見えたけど、あれはなぜか? 畑には、心美ねえちゃんも勝蔵さんもいなかった。ぼく一人だけだったのに、ぼくの目にもハッキリと一心じいちゃんのユウレイが見えた。
「あの〜う…」と、ぼくはおずおず言った。
「おう、どうしたい、心之助」
「ぼくきのう、ぶどう畑にいたユウレイの一心じいちゃんを見たんだよ。でもぼくはその時、熱い気持ちを伝えるようなこと、何もしゃべっていなかったけど…」
「おう、それそれ。おまえにも熱い気持ちがあったじゃないか」
「ぼくの熱い気持ちって?」
「おまえ、きょうもそうだが、無くなるかも知れん烏帽子山線を、絵に残そうとしてくれていただろう?」
「ああ、そのことかあ」
 ぼくは急にうれしくなった。怖いと思っていたユウレイが、この時からユウレイではなく、一心じいちゃんそのものになった。
「ねえ、おじいちゃん」と、心美ねえちゃんが言った。
「何だい?」
「ユウレイって、怒ると恐いの?」
「怖くないよ。アチ、人を呪い殺したりできんもの」
「だったら言うけど、おじいちゃんが心臓発作で亡くなった途端、それをいいことに、烏帽子山線の廃止がバタバタと決まっちゃったのよ」
「知っとるよ。アチ、それが悔しくて、いまだにこうして、この近辺をさまよっているんだからさ」
「そうでしたか。この世に恨みを残すと成仏できないと言いますからね。廃線のことが心を乱し、成仏できずに路頭に迷っておられるんですね」
「さすが三代目。そうなんよ。あの世に行こうにも、うしろ髪をだれかが掴んでいる感じで、三途の川が渡れんのよ。そこでさ、ちょびっと言わせてもらってええかい?」
「あっ、どうぞどうぞ」と住職さん。
「その前に、手、くたびれません? 下ろしてもらっていいですよ」と校長先生が、胸の前から垂らしている一心じいちゃんの手の疲れを心配して言った。
「あっ、そうね」
 じいちゃんは素直に答えると、その手を下ろし、首をコキコキ左右に曲げた。
「あ〜あ、こった、こった」
 両腕も肩からグルグル回した。
「ユウレイも肩こるんだ」と、茂平さんがつぶやいた。
「二ヶ月間、上げたままの姿勢が多かったからね」
 手を回したあと、伸びをし、さらに軽く屈伸運動までしてから、一心じいちゃんは、「さてね」と話し始めた。
「アチ、ユウレイになったら、なぜか先が読めるようになったんよ。でね、この鉄道がなくなって代替バスになったその先を見るとね、これがアカンの。ロハ校長、あんたの高校、つぶれるよ。鉄道がなくなっちゃって、周辺の子が通えんのよ」
「そんな簡単に言わないで下さいよ」
「アチが言ってるんじゃない。めぐり来る事実だけを言っとるの。沿線の子はみんな近くの市部に出て下宿通学だね。ほれ、茂平どん、あんたんとこの孫のキヨちゃんもな」
「えっ、清子も下宿? 一心さん、清子のその先、読めます?」
「うん。キヨちゃん、そのまま町で就職して、そこで結婚。それっきりね。ここへは帰らんなあ。時々は来るけど、みやげはないよ。来たら、あんたんとこのナス、カボチャは持ち帰るけど」
「そんな細かなことはいいですよ。肝心なことだけで」
「行ったきりは、あんたんとこだけじゃない。若者は、みんなここから出て行ってしまう」
「えっ、ぼくも出て行くの?」
「うん。心之助もだ」
「どこへ?」
「東京。そしてフランス」
「フランス! いいなあ。心之助は絵が上手だから、画家になるのかもね。フランスはパリ? それともモンマルトルかしら? 絵の勉強には、お似合いの国よね」と心美ねえちゃんが、うらやましそうに言った。
「ぼく、フランスなんかより、ここがいい。ふるさとの絵を描き続けたい。だから、烏帽子山線が無くなるのって、いやなんだよ」
「くーっ」
「あら? ユウレイも泣くんだ」
「そう。アチ、まだ完全には死んどらんからね」
「あんたの死亡証明、わしが書いたけど、瞳孔、完全に開いとったけどねえ」
「だからね、ここの住民票は抜けたけど、三途の川の向こうの役所が、新しい住民票を、まだ発行してくれておらんのよ。このままだと、赤イボ先生、あんたの方が先に三途の川を渡ってしまうかも知れんですなあ」
「あり得ない話じゃない。わしの方が年上だし…。ところで一心さん、そうなったときの破暮の医療は大丈夫かね?」
「ダメですな」
「ダメ?」
「ジ・エンド。心美も、この村では看護師の口が無くなる。年寄りの幕引きが加速する。コロコロと、秋の終りのコオロギみたいに」
「ロコロコと 死に行く末を たとうれば 破暮の里は 道の霜 ひと足ごとに 消え失せて やがて実もなく 草もなく…」
「あなた!」と、校長先生が門左さんをたしなめた。
「それもこれも、烏帽子山線の廃線に起因する村の孤立化ってことよね。代替バスでは、その孤立化を止めることができないってことでしょう?」
「残念ながら心美の言う通りだ。もともと少ない村の商店も、過疎化の波に飲まれて消える。破暮地区に限って言えば、トメさんとこの雑貨屋も、シゲさんとこの駄菓子屋も、来年中には滅びてしまう。どうにか残るのは、アチが創ったワイナリーだけ。ほれ、最近では、ひもの屋も来とらんだろう。やがて実もなく草もなく…だな」
「ダメです!」と、真竹も割れるほどの鋭い叫び。ギョッとするみんな。上空のヒバリのさえずりがピタリと止んだ。
「実も草も、枯らすわけにはいきません! 絶対ダメです! だって、そんなことでは、わたくしのユメが叶わないではありませんか!」
「おや、だれかと思えば、あんた、女優の大原美津江さんじゃないかい」
「へーえ、よく分かりましたね、一心さん」
 住職さんが感心している。
「そうなんよ。ユウレイってすごいのよ。生きてる時、これくらいの能力があったらアチ、破暮の里を理想郷にできたかも知れんのになあ。…うん? …ほうほうほう、…うんうんうん。ああ、な〜るほど」
「だれも何も言っておりませんけど?」と校長先生。
「いや、いまね、大原さんのユメとやらを覗かせてもらっておるの」
「えっ、わたくしの?」と言って、大原さん、あわてて体の前部分を両手で隠した。
「いけませんわ。そんな…」
「いや、覗いているのはユメだけよ。あんたの裸は見てはおらんです」
「あっ、ですよね。やだ、わたくし…」
 大原さん、耳たぶを赤くして体をグニャリとくねらせた。
 一心じいちゃんは「ふんふん…」と、また大原さんのユメを覗き始めている。
「なるほどなあ。しかし、あんたが描く構想だと、やはり鉄道が欲しいわねえ」
「そうなんです。どうしたらよろしいでしょうか?」
「すまんなあ。ユウレイってやつは、先は読めても、先を作る能力は備えておらんのよ」
「では、構想の先を読んでいただけますか?」
「言うてもいいかい?」
「ええ、おっしゃって」
「では言うけど、農地は立派に開墾される。土質もいい。タネが蒔かれる。芽が出る。スクスク育つ。収穫も順調に進む」
 大原さん、コックリうなずき満足そう。
自然派食堂も図面通りに完成する。オープニング・セレモニーも無事迎えられる」
「素晴らしいじゃないですか」と住職さんが言うと、大原さんは、笑顔で軽く会釈を返した。
「じゃがね、すぐにつぶれる」
 ガクッと大原さん。
「いきなり落とさないでよ。あこがれのスターの腰が、やられちゃうじゃないですか?」と、茂平さんが文句をつけた。
「だって、客が、よう来んもの」
「そんなあ」
 笑顔だった大原さんが、湯をくぐったホウレン草みたいになってしまった。
「あんたのやり方のせいではない。廃線だね。自然派の客を運ぶなら、足となるのは車よりも鉄道じゃろうが、それが止まってしまう。そこだな」
「一心さん。ユウレイはすごいって、さっきご自身でおっしゃいましたよ。それに、一心さんは生前からすごかったじゃないですか。『烏帽子山線を守る会会長』として、ここずっと、廃線機運が高まるたびに、あなたは村や地区の先頭に立って、命の鉄路を守り続けて下さったではありませんか。その一心さんがユウレイになって、いよいよパワーアップしたんですよ。烏帽子山線のこと、今からどうにかならないのですか?」
「そりゃ方丈くん。きみに言われんでも何とかしたいさ。アチ自身のためにもな。このままでは、どこまで行っても成仏できん。ユウレイのまま、あの世とこの世のすき間あたりを夕霧みたいにただようおばけ。そりゃ悲しいや」
「かわいそうなおじいちゃん」と、心美ねえちゃんが一心じいちゃんの手を取ろうとしたが、見えているのに手が取れない。
「あっ心美、むりむり。おまえに見えてるアチの体はねえ、空気に映されているだけの無形の像なのね。手は取れんのよ」
「そうなんだ」
 心美ねえちゃん、悲しそうに一心じいちゃんを見つめていたが、やがてその目をカッと見開いた。そして、吠えるように言い放った。
「そうよ! ダメなのよ。このままではおじいちゃんは成仏できないし、村も滅びる! やるしかないじゃない! こうなったら、何が何でも議会の廃線決議を撤回させるのよ!」
「そうだ! ぼくもやる! 一心じいちゃんを助けるんだ!」
 ぼくもこぶしを突き上げて、遠くの山に向かって吠えた。
「家族愛に満ちてますねえ。それに、一心さんのお孫さんだけあって激しい。ええ、気持ちは分かります。ですがねえ、教職という神聖な場に身を置くわたしとしては、法をくつがえす行動まではねえ…」
「そうなんですよね。心美ちゃんや心之助くんがそう考えるのは親族として当然とも受け取れるけど、一応の手続きを踏んで、県民の総意で決まったことだからねえ」
「でも住職さん。それが総意であろうと新事実が見つかれば、裁判だって再審請求が認められるじゃないですか」
「もちろん新事実があればね。何か新事実があった?」
「ありましたよ」と、心美ねえちゃんはキッパリ答えた。
「さっき、勝蔵さんが言ったじゃないですか。代替バスを導入した結果の具体的な結末を。あんな数字、議会では示されませんでしたよ。あれが示されていたら、あんなにやすやす廃線決議なんかされるはずがないじゃないですか」
「うっうっう〜っ!」
 勝蔵さんが、顔を真っ赤にしてうなり出した。