心一つに立ち上がれ!11.

 大女優大原美津江さんが、この地に無農薬農園と自然派料理店を開設すると言う。
 その構想を聞く門左さん、茂平さん、校長先生あたりは、顔をポッポと火照らせてもいる。この年代の人たちにとっての大原美津江という人は、ぼくにとっての「ミサエちゃん」みたいな感じらしい。遠目に見てもまぶしいのに、こんなに接近しちゃったから、酸欠が心配になるほどで、鼻からポッポと熱気を吹き出してる。
 お坊さまはさすがに冷静。修行のせいかと思ったが、もしかすると年齢のせいかも…。だって大原さんは、住職さんのお母さんぐらいのトシだからね。同い年の勝蔵さんや心美ねえちゃんも冷静にしているし…。
 その住職さんが言った。
自然派農園とは素晴らしいですね。そこでの産物を使った料理店も素晴らしい。しかもその企画には、ここの風景や鉄道までもが織り込まれていたんですからね。それなのに、まったく残念なことでしたよね」
「はあ?」
 大原さんには、住職さんの言葉の意味が分からなかったみたい。
「あの〜う、その妙な過去形なんですけど、それ、どういう意味なのでしょう?」
烏帽子山線ですよ。限界に来てしまったではないですか」
「限界? 牛と衝突したことですか?」
「いえ、事故ではなく、来年春の廃線のことです」
廃線? この烏帽子山線が無くなるんですか?」
「あら? ご存じありませんでした?」
「存じません。えーっ、それ困ります。この鉄道あっての農場なんですから」
「そうですよ! 鉄道あってのことなんですよ!」
「えっ?」
 突然の発言に、みんなの目が心美ねえちゃんに集まった。
「だから、ダメだと言ってるんです。この鉄道を無くすなんて絶対ダメなんです! だって卑怯じゃないですか。うちのおじいちゃんが死んだ途端に、手のひらを返すような廃線だなんて!」
「まあまあまあ」と、校長先生が手で制した。
「心美ちゃん、あなたの気持ちは分かります。烏帽子山線を守る会会長のおじいさんが亡くなった途端の結末でしたからね。しかしね、この廃線は議会で決めたことなんです。議会というのは民主主義の原点ですよ。ですからね、今さら、ちゃぶ台返しも利かないんです」
「ねえねえねえ。議会が民主主義って決めたのだれ? ロハ校長が決めたの?」
 こんな言い方、勝蔵さんしかできない。
「また、きみのへりくつか。最大多数の最大幸福。ベンサムの言葉です。きみは、わたしのことを『多田先生』と呼びました。『武田です』と訂正したら、『タケダからケが抜けたらタダでしょう』と、わたしのおつむを見ながら抜かしました。その上ですよ、『タダとは無料のことだから、すなわちロハ先生ですよね』と定義した。ちがーう! でもあれからです。わたしはロハ先生と呼ばれるようになってしまった。しかし、わたしは考えた。それが総意ならば仕方がない─と。以来、わたしはその名に甘んじて来た。民主主義とはそういうものです」
「総意が民主主義。議会が民主主義。そうか。第二次世界大戦を始めたのは民主主義だったんだ」
「きみ!」
 校長先生が目をむいたとき、大原さんがこぶしを丸めて訴えた。
「わたくし、困ります! わたくし、その総意に加わってはおりませんもの」
「いや、それを言うなら、わたしだって廃線組には加わってはおりません」と校長先生。
「当然ですよ」と心美ねえちゃん。
「あたしだって」と茂平さん。
「右に」と赤イボ先生。
「破暮の人なら、みな同じ。聞くまでもないことです」と住職さん。
「わたしバカよね おバカさんよね」
「あら? おバカさんって、門左さんには聞くまでもありました?」
 すると門左さん。
「おんぼろ窓から 手を振れば
赤いたすきの 早乙女の
さわやか笑顔が 手を振り返す
明るい青空 舞うトンビ
あああの郷愁 この鼓動
待っていたのさ 破暮里」
「そうでしたか。門左さんは代替バスをユメ見ていたんですね」
「まあ、そういうノスタルジーもあるでしょうねえ」と、めずらしくも校長先生が門左さんの考えに理解を示した。
「けど、それを置いたとしても、そもそもが、民主主義は破れたわけではない。確かに鉄道は廃止されますが、代替バスが用意される。それも、今の時刻表の数だけ走らせると言うんです。サービスにそれほどの違いはないと見るべきかも知れませんな」
「そこに落とし穴がある。みんなそこにハマって死ぬ」
 勝蔵さんが、恐ろしいことをペロリと言った。
「物騒だなあ、この火の玉は」と茂平さんがつぶやいた。
「勝、それってどういう意味だ? 意味があるから言ったんだろう?」と住職さんが真顔で聞いた。
 勝蔵さんも、住職さんには素直に答える。
「遅まきながら調べたんだよ。列車を代替バスに転換しても、乗客の何割かはマイカーや自転車なんかに逃げるんだ。大鉄の谷合線は、一日九往復のバス運行で料金収入たったの3,000円。燃料費にもなっていない。信州鉄道の木暮線は、バスに切り替えた途端利用者が四割減った。北越福野線はバッサリ半減。ある機関の調査によれば、そんなのはいい方で、代替バスの平均的な利用者は、廃線時点の三分の一だってよ」
「そんなに?」
「予測できたか?」
「できない」
代替バスは確かに走る。でもオメデタイ。乗ったバスが向かっているのは地獄の底だと、だれ一人として気付いていない。アーメン」
 勝蔵さんの話に、意気下がるみんな。
 校長先生がムッとした顔で、「そんなバカな」と吐き捨てた。
「あり得ない。それはきみの作り話です。きみの話からはいつだって、わたしは真実のかけらの一つといえども感じ取ったことがない」
「いいの、いいの。ロハ校長は信じなくても。いつまでも反面教師でいて欲しいの」
「きみ!」と校長先生が一歩踏み出したとき、天からなのか、地からなのか、ふしぎな声があたりを包んだ。
「勝蔵の言うと〜うり!」
 メガホンを通した上にエコーをかけたような声だ。
「えっ、だれ?」
「どこから?」
 さがすにも、かくれる所がないホーム。ただキョロキョロとする面々。
 すると─。
「アチ、ここ」
「わっ!」と全員、のけ反った。白いペラペラ着物を着流した老人が、ス〜ツとみんなの輪の中に現れたのだ。歩いて来たとか、飛んで来たとか、そういうことではなく、透明の空気の中から予告も無しに、ポワ〜ンと浮かび出たのである。
 老人の顔は、プリンスメロンの皮みたいにスジスジばって青白い。両手首を胸の前でダラ〜リと下げている。これはまさに、正統派のユウレイであることを証明している姿勢だ。
(あれだ!)と、ぼくは心の中で叫んでいた。きのうの昼間、ぶどう畑で見た一心じいちゃんそっくりの〝おばけ老人〟に違いなかった。
 老人は、ぐるりと一同を見回してから、エコーのかかった声で言った。
代替バスでは、破暮は滅びるぞ〜う」
「失礼ながら…」と校長先生が、おずおず尋ねた。
「あなた、どなたでしょう?」
「アチ、ユウレイ」
「足が出てますよ」と住職さんが、細めの青首大根みたいな足を指差して言った。裸足というのもきのうと同じだ。
「足、出てたら、おかしい?」と、ユウレイさんが住職さんに聞いた。
「通常は出てないと思いますけど」
「そうかねえ?『四谷怪談』に出て来るお岩さんは、雪の上に点々と血の足跡を残すし、『牡丹燈籠』のお菊さんは、カランコロンと下駄の音をたてて出て来るけどねえ」
「ああ、そうでしたよね」
「そもそもユウレイは、元来が人間なんだから足があるの。円山応挙って知ってる?」
「江戸時代の画家ですよね」
「そう。あの男が足のないユウレイを最初に描いたんだな。すると、ユウレイのすごみがグ〜ンと増してね、それからだわ、足のないユウレイがはやり出したのは。最近じゃ、ユウレイには足がないと思い込む人が多くなっちゃったけど、それ間違い。本物のユウレイには足があるの」
「くわしいですねえ」
「だって、ユウレイだもの」
 ペラペラしゃべるおかしなユウレイをジィ〜ッと見ていた心美ねえちゃんが、「あっ!」と叫んだ。
「おじいちゃんじゃない! ねえ、おじいちゃんでしょう?」
 ユウレイが、心美ねえちゃんを見てニヤリと笑った。その目をぼくに移すと、そこでもニヤリ。ぼくはゾッとして勝蔵さんの背に回った。
「おお! まこと一心さんじゃ!」と叫んだのは赤イボ先生。住職さんは数珠をにぎると、ユウレイに向かってお経を唱え始めた。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五ウン皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色…」
「こらこら、久永寺三代目、なぜ般若心経なんぞ、アチに向かって唱えるんかい」
「あっ、恐れ多いときの習性でして」
「いらんよ、そんな習性」
「心の重荷が取れますけど…」
「いらん、いらん。ところで心美、アチの墓に、いつも花をありがとさんね。おまえのことは、いつもそばから見守っておるよ」
「いつもそばからって、あの日以来、わたしがおじいちゃんの姿を見たのは、いまが初めてなんだけど…」
「うん。ユウレイだから姿は見えんの」
「今見えてますよ」と住職さん。やっぱりお坊さんは冷静だ。
「そこよ。心美と勝蔵の熱い気持ちが、本来は透明であるべきユウレイの体に色を送り込んでくれたってわけね」
「心美ちゃんや勝の熱い気持ちと言いますと?」
「決まっとるがね。烏帽子山線を思う気持ちだわね」
烏帽子山線を思う気持ち…ですか?」
「おい久永寺三代目」
「はい!」
「おまえ、さっきから聞いとって、烏帽子山線に対する二人の気持ちが分かっとらんのかい?」
「あっ、そのことでしたか。はいはい、そのことでしたら分かります! はい!」
 いきなり破暮駅のホームに現れたユウレイ。それは、きのうぼくがぶどう畑で見たユウレイと同じユウレイ。そしてそのユウレイこそ、まさに一心じいちゃんのユウレイだったのだ。