心一つに立ち上がれ!10.

 破暮駅のホーム上、いきなりとどろいた怪しげな音。
 ジャジャジャ、ジャーン! ジャジャジャ、ジャーン!
「だれ、これ?」と、音のありかを求めてキョロキョロする面々。
 音ではなく曲だった。ベートーベンの『運命』。
「あっ、これ、あたしの」と、茂平さんがポケットからガラケイを取り出した。こんな曲を着信音にしている意味が分かんない。
 茂平さん、ガラケイを耳に当てがう。
「ハイハーイ。…えっ、だめ? 全然? 牛は? …死んじゃったの。でかいからってジージェルなんかとケンカしちゃダメだよね。ハッキリ牛に教えておけばよかったのに。…ハイハイ。しょうがないよね。…ハアイ、了解」
 ここでみんなを見て、「ダメだって。きょうは動かないって。牛も、大物相手にそこそこがんばったみたい」と言った。
「何だよ、牛に負けるなんてモ〜ウ!」と、ぼくはムカついた。きのうはユウレイ。きょうは牛。烏帽子山線を描こうとすると邪魔が入る。
「でも、心之助は趣味じゃない。みなさんは仕事なのよ。門左さんだって、ご本人なりの目的はあったんだろうし」と、心美ねえちゃんがぼくに言った。
 門左さんが、ニィ〜ッと笑ってうなずく。この人って善人だと思う。
「運休かあ。校長先生、会議はどちらまで?」と住職さんが聞いた。
「塩の道の教育会館までね」
「ああ、あそこですか。だったらわたし、一度お寺に戻って車を転がして来ますから、ここで待ってて下さればお送りしますよ」
「いや、それには及びません。きょうは欠席ということに致しましょう。大体、土曜の休日に会議を組む方がいけないんです」
 すかさず勝蔵さんが言う。
「行けるのに欠席?」
「きみに言われたくありませんよ」
「おれじゃダメかあ。なら心之助、おまえから言ってやれよ」
 ぼくは、あわてて首をふった。けど勝蔵さんって、ほんとにすごい。校長先生の方が負けているもん。
「みなさんは、どうされます? わたしの料理教室は梅ヶ丘ですけど、そっち方面の方がいらしたら、お送りしますよ。勝、おまえはどこまでだ?」
「おれは帰る。いや、車ならある。たまたま通りかかったら、みんながいたから、車を止めて寄ってみただけ」
「はっはっはっ…。おまえらしいなあ」と住職さんは笑ったが、ロハ校長先生は「ふん」と鼻を鳴らした。
「赤イボ先生はどうされます?」
「仕方ない。本日休診だな」
「いずこまでかと 問われてみれば 口にするのも はずかしや」
「あのね、門左先生にはだれも問うていませんの。口にしなくていいですよ。はずかしいことなら、なおさらね」
 茂平さんのおちょくりより、おちょくられた当人が「ほっほっほっほ…」と笑っていることの方が、よほどおかしい。
 みんなが笑う中で、一人冷めているのは心美ねえちゃん。「冷めている」というより、ムッとしている。何か言いたそう。あっ、言う!
「みなさん! そんなんでいいんですか!」
 ホラ言った。
「どうしたの、心美ちゃん。そんな恐い顔して」
「だって、あと何カ月かでこの烏帽子山線は廃線になるんですよ。ディーゼルが来なくなったら赤イボ先生は診療所を閉じる。校長先生は会議を放棄する。茂平おじさんも、それでしようがないと思っている。そんなんでいいんですか? この村のことはもう知らん。あとのことは、みなさん勝手にやってくれ。それでいいんですか?」
 みんなは一瞬たじろいだ。
「心美ちゃん」と校長先生が、いんぎんな口調で言った。
「あなたの一途な気持ちは尊重しますよ。しかしですね、廃線は決まってしまっているんです。今さら、どうにもならないことなんです」
「だからって、冬を迎えるウジ虫みたいに、ウジウジ滅びるのを待つだけでいいんですか?」
「ウジ虫かい、あたしら…」と、つぶやいたのは茂平さんだ。
「うんうん」
 住職さんが、うなずきながら言葉をつないだ。
「一心さんの孫だから、廃線を腹立たしく思う心美ちゃんの気持ちはよく分かるよ。分かるけど、そこなんだよね。世の中というものは諸行無常なんですよ」
 その場の空気が重くなりかけたとき、コツコツとひびいたクツの音。さっき、茂平さんの家のトイレを借りた女の人が戻って来たのだ。
 茂平さんが、重苦しい空気をやわらげるチャンスとばかりに声をかけた。
「お帰り。どう? スッキリしたかね?」
「あっ、はい! おかげさまで。ありがとうございました」
「でもね、一難去ってまた一難ですよ」
「はあ? 何か…」
「うん。ジージェルがね、運休になっちゃったの」
「えっ! ディーゼル、来ないんですか?」
「そう。ジージェル、来ないの。どうします?」
「どうしましょう」
 二人の会話中、門左さんがカニの横バイを始めた。目線を女の人に合わせたまま、その周りをぐるりと半周。みんなが(あれっ? どうしたの?)みたいな目で見ていると、門左さん、両手をとつぜんオケラのように開いて叫んだ。
「あっ! と驚く 門左衛門!」
「あっ」と驚いたのは、こっちの方だ。
「七五調で驚きなさんな。どうしたって言うんです?」と校長先生。
「見ればまさしく 銀幕の われ憧れの うるわしき 大原美津江 さまであられる」
「ああ、そうだ!」と叫んだのは茂平さん。
「いや、どっかで見た気がしてたんだ。確かにあなたは大原美津江さん。ねっ、そうですよね?」
「ええ、まあ…」
「そうでしたか!」と校長先生が、茂平さんを横に退けて前に出た。
「あっ、わたし、ここで高校の校長をしている武田と申します」
「…あっ、ハイ。大原美津江でございます」
「やあ、どうも、その節は…」
「その節はって、あなた、大原さんと面識があったんですか?」
「いや、銀幕、銀幕」
「何だ。一方的に映画観ただけじゃない」
 茂平さん、押し退けられたのが、おもしろくなかったみたい。でも校長先生は、茂平さんを見てやしない。
「いえね、わたし、あなたの映画をよく見せて頂いているんですよ。じかにお会いできて光栄です。けど、ふり返りますと、最近あまりお見受けしていないような…」
「はい。映画のお仕事は、ちょっとお休みさせて頂いております」
「そうでしたか。『雲に乗ってふる里へ』、『時は過ぎ行くとも』、『忘れな草のうた』…どれもよかった。ぜひまた、銀幕でお会いしたいものです」
「ありがとうございます」
「ところで、きょうは? だいぶ場違いな所においでのようですが」
「はい。ここから歩いて十五分ほどの所に購入した農地がございまして、それを見にまいったものですから…」
「えっ?」と、今度は茂平さんが校長先生を押し退けた。
「ここから十五分って、あっち?」
「ええ、あっち」
「それ、兄貴の土地じゃないのかなあ。確か、大工原さんとかって人に売ったような…」
「大工原はわたくしの本名です」
「ああ、やっぱり!」
「はい」
「兄貴の話だと、あそこに無農薬農場を作って、その収穫物を使った完全自然派料理店も隣接させるとかって…。それ、大原さん?」
「はい。その図面ができ上がったものですから、きょうは、土地と図面とを見比べてみようと思いまして」
「そうでしたか。けど、大原さんほどの方が、なぜお一人で? それも、車も使わずに…」
「農園とお店が完成したら、自然を愛する自然派の方々に、ぜひお越し頂きたい。同時に、ここの自然も満喫して頂きたい。それには自動車ではなく鉄道ですよね。それも、電線のないディーゼル鉄道。わたくし、それがあっての農場だと思っておりますの。そう思うからには自分自身がそれに乗ってみて、その心豊かな気分を直接味わってみなくてはと思いまして」
「ほう、ほう、ほう」
「うん、うん、うん」
「そう、そう、そう」
 だれもが納得顔でうなずいている。