心一つに立ち上がれ!2.

 ぼくは、深草村・鬼恋小学校の破暮分校に通う六年生。一心じいちゃんが学んだころは分校ではなく、一人前に独立した「破暮小学校」だった。児童数も当時は百人を超えていたそうだ。それが今ではたったの八人。十五年前、二十人を割った時点で鬼恋地区の鬼恋小学校に編入されてしまったのだ。
 六年生はぼく一人。来春ぼくが卒業したあとの新入生の予定はない。地区に赤ちゃんもいないから、今いる八人全員が卒業してしまうと分校は空っぽとなり、ひとまず閉鎖するしかない。その「ひとまず」が「永遠」となることも十分に考えられる。
 破暮には「破暮バカ」という言葉がある。荒畑や鬼恋の人たちがそう呼んでいる。ただし、「バカ」と言っても「バカそのもの」の意味ではない。「バカが付くほど陽気な連中の地区」という意味だ。破暮の人たちは、そう呼ばれることを誇りにしていた。四六時中冗談が飛び出し、笑いの絶えない地区だったのだ。
 今は違う。「破暮バカ」は昔の話となりつつある。
「バカ」の語り草に、六年前の深草中学校破暮分校の卒業式がある。卒業生の一人が心美ねえちゃんだったから、当時6歳のぼくも家族にまじってその場にいた。
 式はおごそかに進み、『仰げば尊し』の斉唱へと移っていった。胸打つシーン。ハンカチを目に当てる参列者がいる。児童も親も、六年間の過ぎし想い出を心に巡らせながら歌っていた。
 歌が二番へと移って行く。ところが、そのあたりから会場がザワつき始めた。目に当てていたハンカチを鼻に回す人。扇子を取り出し、あおぎ出す人。わざとっぽく周囲を見回し(わたしじゃないわよ)みたい顔をする人もいる。
 原因は臭い。それが、かなり強烈。歌詞が「今こそ別れ目〜」となったあたりで、月に一度来る『ひもの屋』の巡回販売車がやって来た。
 ひもの屋は、いつもの通りいつもの声で、マイクの音も高らかに商品名を連呼した。
「ひもの〜うェ、ひもの! カマスの開き、メザシの丸干し、素干しのアタリメ、サンマのみりん。くさ〜いクサヤもございます!」
 だれかが「臭いだらけの別れ目だなあ」とつぶやいた。聞こえた人が「ぷっ」と吹いた。それを注意したい校長先生が、わざとらしく「うん!」とノドを鳴らした。「お静かに」の意味だろうけど、これって明らかに逆効果。たまらずだれかが「くくっ」と笑い、その背中をだれかが突いたから、「くくっ」が「ぶあっ!」となって一気に爆発。会場全体、歌も式も吹っ飛んだ。肩を小突き合ったり、背を叩いたり、笑いと涙の乱れ舞い。引っくり返って、足をバタバタさせる人まで出る騒ぎ。腸をねじらせた三人が、救急車で町の病院に運ばれたけど、そのあとも、校舎の裏庭で腹をヒクヒクさせている人が何人もいた。あのとき一心じいちゃんが、「いや〜あ、想い出深い卒業式になってよかった、よかった」と、心の底から喜んでいたのを想い出す。
 あれから五年。今の破暮は〝電池が切れた笑い袋〟だ。冗談も出ないし屁も出ない。口を開けば「おれたち、絶滅危惧種だからなあ」の嘆き節一色である。医療短大を出て破暮診療所の看護師となって村に戻った心美ねえちゃんは、「まったく、飛べないドードーばっかりねえ」とタメ息をついた。
 ドードーとは、『不思議の国のアリス』にも登場する間抜けな鳥だ。間抜け過ぎて自分を守ることもできないまま、十八世紀には絶滅してしまった。心美ねえちゃんの眼には、そのドードーと破暮の人たちが、ダブって映るらしい。呆れているわけではない。地区の人たちをそんな気持ちにさせている絶滅現象を、おねえちゃん自身も危ぶんでいるのだ。心美ねえちゃんが村の絶滅を危ぶむ最大の理由は、来年三月末で廃線と決まった『烏帽子山線』にある。
 烏帽子山線は、県内の一市一町二村を結ぶディーゼル鉄道。走行距離93.4キロメートル。単線で一両運行のローカル鉄道だ。この一両だけという素朴な走りを、ぼくはすごく気に入っている。春には、ピンクに染まったレンゲの中をやって来る。夏には、波打つ稲穂をかき分けながらやって来る。秋には刈田の〝わら塚〟を、ゲームのように巡りながらやって来る。冬は白い国からの使者のよう。吹雪のマントに身を包んでやって来る。
 たった一両でトロトロと来るリズムがいい。ユメが湧くし絵にもなる。そんなレトロな風景が、あと少しでなくなってしまう。そう考えればぼくだって、飛べないドードーみたいな気持ちになる。
 烏帽子山線が廃止寸前に追い込まれたことは、ぼくや心美ねえちゃんが生まれる前にも一度あったそうだ。
「あのときは、おやじがいたからなあ」とお父さんが言った。「おやじ」とは一心じいちゃんのことだ。若かった頃の一心じいちゃんが、その危機から村を救ったのだという。当時のことを、お父さんは話してくれた。