心一つに立ち上がれ!1.

ひとしずく』を垂らし続けて早70垂れ超。こんなに垂らしちゃったら「ひとしずく」ではなくなる。それに、これ以上垂らし続けたら、元来が素直でない僕のこと。内容からして、いよいよ〝偏屈爺〟になってしまう。うん? もう充分になってるかもね。
 そこで『しずく』の蛇口を締めることと致しました。けど…黙するだけではチト淋しい。何かしたい。だったら童心への回帰かな? 筆の向くまま綴ってしまう『連載・週刊児童文学』なんてどうだろう? 
てなわけで、ここからは児童文学でございますよ。児童と言っても、読者対象は「児童+元児童」。大人も昔は子どもだった。で、白髪が目立つようになったあなた。あなたも立派な児童文学の対象者。真澄の如くに童心だった当時の自分と、時空を超えて再会してみませんか?
 ところで、「週刊」と銘打っても、僕は、いきなり田舎の空気が吸いたくなったりするタイプ。そうなると旅先からブログを操る術なんか知らないから、発刊が何日か遅れることもあるだろうし、逆に「やることないから、早めに書いちまおう」なんてこともありそうなんです。書き進む物語も、そこからどっちへ向かうか、朝起きた気分に作用される病気持ち。行方皆目解らぬ有様でして…。
 諸々問題を抱えつつ、ゆらりと岸を離れ行く船。読んで下さる方が10人以上なら長編の「航海」となり、5人程度なら中編で済ませる「公開」となり、1人しかいないようなら短編の「後悔」となって砕け散るのでございます。
 では船出。題して…
                  『心一つに立ち上がれ!』
                          作/かねこたかし

1.
 ぼくは星心之助(ほし・しんのすけ)。おねえちゃんは心美(ここみ)。お父さんは心太(しんた)。二か月前にこの世を去ってしまったじいちゃんの名は一心(いっしん)。「心一つに通すべし」というのが星家代々の家訓とかで、この家に生まれた者全員の名に「心」の文字が付いている。
 いつだったか「お母さんには心が無いよね」と言ったら、障子の向こうから「親にその言い草は何だ!」と、お父さんが怒鳴ってよこした。
「そうじゃなくて、名前のことよ」とお母さんが返すと、「何だ、そっちの話かい」と笑ったが、今度は縁側から一心じいちゃんの声が届いた。
「心之助」
「何?」
「お母さんの名前にも、心という字は付いているぞ」
「えっ? お母さんは悦子(えつこ)じゃないか」
「悦の字の左のつくりを〝りっしんべん〟と言う。それはズバリ〝心〟を意味しているんだよ。しかもだ、悦という字には『心のこもった喜び』という意味がある。だから悦子という名にある心は、アチらのものより、もっともっと上等なんよ」
「へ〜え、そうなんだ」
「名は体を表すって言うだろう。見ての通りで、おまえのお母さんはニッポン一だわ」
「言い過ぎですよ、おじいちゃん。そんなにおだてても、何も出やしませんからね」
「おだてなんかじゃない。本心本心。…ところで悦子さん、今夜は、マグロのさしみあたりかなあ?」
「惜しい」
「惜しい? となるとカツオのたたきだろうか?」
「ますます惜しい」
「ほう。ではズバリ、アジのたたき!」
「ピンポ〜ン。アジ、正解です。ただし、たたきじゃなくて開きですけどね」
「アジの開き…。それのどこが惜しくて、何が正解なんかね?」
「マグロもカツオも、同じお魚ですから惜しかったし、アジも出て、それ、大当たりじゃないですか」
クロマグロのさしみも、一個120円のツナ缶も、同じマグロ料理って話かい? 乱暴だなあ、悦子さんは…」と、こんな会話は日常のことで、わが家は明るい一家だった。
 それが、今はすっかり沈んでいる。あれほど元気だった一心じいちゃんが、二か月前に心臓発作で、あっけなくこの世を去ってしまったのだ。ショックだった。当日までピンピンしていたとか、まだ77歳だったとか、そういうことではない。一心じいちゃんは、わが家にとっても村にとっても、かけがえのない人だったのだ。
 一心じいちゃんの話をするには、まず村のことを話さなくてはならない。
 ぼくが住む深草村は海なし県の郡部。山岳地帯と交わるあたりに位置している。人口わずか3,200人。えらく小っぽけな村だ。
「小っぽけたって、面積だけなら大都会だぞ」とお父さんは言う。
「世界に誇る大東京二十三区の中の国会議事堂がある千代田区、銀座や東京駅がある中央区、その二区を合わせた面積の二倍以上もあるんだからな」─と。でもそんなのカラ威張りだ。その二区には皇居がある。新幹線の始発駅もある。近くには羽田国際空港もある。世界一のスカイツリー・タワーもそびえている。だけど深草村には、誇れるものが何も無い。無い上に、家も橋も火の見やぐらも、地蔵も郵便ポストも肥えだめのふたも、何から何まで古っちい。
「自分の住むところをそんなふうに見るんじゃない。昔はここだって〝おかいこさん〟で栄えていたんだし」
「昔って、いつ?」
「まあ、お父さんが生まれる前の話だけどな」
「そんなの、通用しないよ」
 自分が生まれていなかった時代まで引っ張り出すなんて、ただの負け惜しみだ。放ったらかしのクワ畑、軒に積まれたかいこ棚、バカでかい庄屋さんの家の門柱…。そんなもの、何の役に立つと言うんだ。
 学校の先生は「日本は、四人に一人が65歳以上の年寄り社会」と言ったけど、深草村は三人に一人が65歳以上の高齢者で、小学生以下は数えるほどしかいない。このままだと、村から子どもが消えてなくなる。子どもが消えるということは、子孫が絶えるということで、ニホンオオカミやカワウソみたいに絶滅への道まっしぐらを意味している。
 村の人たちは、今それを一番恐れている。お父さんが村を少しでも大きく言いたがるのも、村の絶滅を恐れるあまりのことである。村を大きく言うことで「こんなでかい村が消えるわけがない!」と、強く自分に言い聞かせているのである。
 反動で、ぼくたち子どもは大事にされている。人間国宝になぞらえて、「人間村宝」と呼ばれることもある。ときどき「おっ、子どもだぞ、ほら!」なんて、見世物みたいな言われ方をするのは迷惑な話だけどね。
 深草村は、南北に細長いヘチマのような形をしている。集落としての大きなかたまりは三つあって、南から荒畑地区、鬼恋地区、破暮地区。最も大きい荒畑地区には村役場があり、1,500人が暮らしている。鬼恋地区には700人。ぼくたちが暮らす破暮地区は600人。三つの中では一番小さい。
(次回へ続く)