ひとしずく。その70

 国内のデング熱騒動が続いている。この病気には嫌な想い出がある。40数年前のことだ。
 当時テレビディレクターだった僕は、ドキュメンタリー番組制作の旅に出た。取材地はパプア・ニューギニア、オーストラリア、タヒチ、トンガの四カ国。オーストラリア編とタヒチ編は、この番組の総合プロデューサーで『三匹の侍』や『御用金』などで名声を得ていた五社英雄監督が自ら演出し、残るパプア・ニューギニア編とトンガ編を僕が演出した。そのときのレポーターが「ミミ」こと、オリンピック・スイマーだった木原光知子。彼女はまだ二十三歳。現役を引退し、タレントになったばかりの、陽気でイタズラ好きなお転婆娘だった。
 分担の二本を撮り終えた五社さんは先行帰国。僕は最後の取材地トンガに向かった。そのトンガで、ミミがデング熱に罹ったのである。
 先の戦争で南太平洋に展戦していた多数の日本兵が、このデング熱で落命している。過酷な環境下での感染だったからだが、「多数落命」と聞けば、その恐ろしさは肌に伝わる。ましてや有効な薬が無いというのだから。
 僕は小型機をチャーターして、彼女をシドニーの病院に運ぼうとした。ところが駐在していた米軍平和部隊の軍医が「この状態では、彼女の体は輸送に耐えられない」と移送に反対した。仕方なく、東京女子医大の医師の助言を電話で受けながらの介抱となったが、その時点で僕は、最悪の場合を覚悟していた。
 そのミミが発症から一週間、突然「カレーが食べたい」と呟いた。「最後に一口なりとも…」なんてこともあるから僕は肝を冷やしたが、それは復活への狼煙だった。猛女は強靭にも甦った。感涙の場面であった。
 そんなわけだから、デング熱と聞くと、あの時の恐ろしさが蘇る。問題は地球の温暖化。ヒトスジシマカの分布が年々北上している。最近各地で起こる土砂崩れ等の災害も、あるいは温暖化に起因しているかも…。勇ましく矢を放って「経済だ! 日本だ!」と叫びたい気持ちも解らぬではないが、自然の摂理までいじくり回しては、神ばかりか国民の納得も欠くであろう。新内閣の取り組む課題は多い。優先順位は、どうぞ国民に問うて下さい。
 そこで今日のひとしずく
『国家の価値は、国民の価値感の中から生まれる』