ひとしずく。その67

 僕は1年間の3分の1ほどを那須で過ごす。そこは14年前に建てた家だから、冷蔵庫、洗濯機、温水便器、テーブル、本棚…といった調度類は、古希を超えてしまっている僕より、相当に若いものばかりである。一方、常住の上尾にあるものは、新婚時に揃えた鍋釜ほかの電気製品、器、家具、趣味の道具に至るまで、40数年の歴史物ばかりである。
 その差の中で気付いたことがある。上尾の年季入り調度品に対して、那須の新品どもは、あまりに情けなさ過ぎる。洗濯機やテレビはすでに買い替えているし、その他の調度類も次々病に伏せるのだ。やって来たお医者さん(修理業者)は、患者を診て事も無げに言う。「これ、寿命ですね。えっ、14年も働かせたんですか? そもそも電気製品は、寿命が8年程度ですから」─と。
 5年しか使っていない草刈り機もそうだった。これは那須における二台目である。それも故障したのでメーカーに修理を頼んだら、メーカーめ、自ら5年前に売っておきながら、「これは旧型ですから、もう部品がありません。新型をお求め頂くしかないですね」などとシャーシャーぬかしおった。
 先日は、不調を訴えている僕のパソコンに対して友人が、「えっ、もう6年も使ってるの? それじゃ故障もするさ。買い替える時期だもの」などと、自分自身は71年間も生きていながら、カエルみたいにケロケロ言いおった。
 みんなおかしいよ。『昭和くらし博物館』館長の小泉和子さんが本の中で言っている。「終戦直後に手に入れたパン焼き機でパンを焼いてみせたところ、若い人たちが感嘆し、『こんなに手軽においしいパンが焼け、しかも60年以上も壊れないなんて! 私たち、どうしてこういうものを使わないで、大袈裟なオーブンなんかに走ったのかしら?』─と」
 最近の世の中、すべてがそんな調子ではないか。新しいものほど寿命が短くなってゆく。要らぬ機能ばかりが付いた軟弱な半端モンが、見栄えばかりを整えて、陳列棚に鎮座している。そんなモン、僕は要らんぞ!
 僕は怒っている。僕は怒りに震えている。そこで今日のひとしずく
『人間はやがて、漁り続けた機能の中に埋もれて死ぬ』