ひとしずく。その62

 昭和17年、僕は東京・大田区小林町(現蓮沼)の産婆さんによって、この世に導かれた。導いて頂けたのは有難かったが、生を得た世は、地球丸ごと殺し合いの最中だった。
 日本国は前年の12月8日から、やってはいけない戦争に突っ込んでいて、事情を知らされていない国民である両親と三つ上の兄は、言語に絶する明け暮れを強いられていたのである。川柳に《暖室に酒呑みながら主戦論》の一句があるが、いつの世でも戦場に立つことのないのが戦争指揮者。苦渋の樽の一番下に漬け込まれているのが庶民というわけだ。
 昭和19年の6月、閣議国民学校児童の学童疎開を決定すると、母は就労の父を東京に残し、未就学の兄と僕を連れ、実家のある信州に疎開した。
 そこ信州南佐久郡前山村は、僕にとって物心のついた地であり、郷愁の地である。しかし、三つ上の兄にとっては、そこで入学した小学校で「貧乏疎開者」と嘲りを受けるなど、必ずしも心良い地ではなかった。…であるから、そうした意味も込めて大雑把に言えば、現在の75歳以上は「戦争悲惨体験世代」であり、それ以下は「戦争ごっこが出来る世代」である。
 アメリカは、今も世界中で戦争をしているから、アメリカ人は全員が「戦争ごっこ麻痺世代」ではないかと僕は怪しんでいる。みんなシビレているから、地球侵略軍と戦う映画なんぞを好んで作り、被害者感覚をゲームのように楽しんでいるのではないかと、僕自身は怪しんでいる。
 そこで今日のひとしずく
『こんなことになるくらいなら、あの時こうしておけばよかった…と人はよく言うが、あの時こうしておけるくらいなら、こんなことにはならないものだ』