ひとしずく。その61

 モノに取り憑いてモノを台無しにするモノ数多く、例えば、身にピロリ、家に白アリ、老いにオレオレ、弱きにパワハラ、強者に増長、総理にゴマスリ…。己が理不尽を正当化したくて、記者らを前に赤子のように泣き叫ぶ人を議員に選んだのも人間だし、まあ、人間の正義なんて浅はかで、大概がそんな程度なんでしょうかねえ。僕にしたところで、ズ〜ッと寝たふりをしたまんまですもんねえ。
 でも、〝生〟あるものすべてが人間のように堕落化しているわけではない。鳥なんか、毎年命がけで渡りをしているし、蟻は炎天孫子のために、毎日忙しく働いている。みんな頑張っているわけだから、「落ちる所まで落ちなくてはだめだ」と坂口安吾が指摘したのは、人間に対してだけのこと。
 こんなことでいいのかなあ─と、さすがに怠惰な僕としても時々思う。若者の「精神的老化」が気になるのです。意気高かった五寮の健児は最早居ないし、「もしそれ自治のあらずんば、この国民をいかにせん」などと高唱する学生も最早居らん。平成の唐牛健太郎秋田明大は、校舎の中にも路地裏にも居ない。ABBと握手なんかしているもん。安倍さん、喜んでいるだろうなあ…。
 そこで今日のひとしずく
『人生における「諦めの数」と「年齢の数」は比例しない』