ひとしずく。その59

 僕はスポーツを観るのが好きだ。昔はプロ野球高校野球、大相撲などによく足を運んだ。残念ながら、帰路揚々とはならなかったが。大抵の場合、応援対象が敗れたからね。そりゃまあ、巨人やPL学園や大鵬なんか応援しなかったのだから、観戦勝率一割程度は仕方がないか。
 最近は出掛けることが億劫になり、今年のスポーツ観戦は、目下のところ「なでしこリーグ」ぐらい。もっぱらテレビ観戦だ。
 とにかくスポーツが好きなのだが、新聞やテレビによる「戦前の勝敗予想」とか「戦後の結果評」は読まないし、視聴もしない。「戦前の勝敗予想」は、予想ではなくて評論家らの個人的願望だし、「戦後の結果評」は、只単に、自らの願望を裏切られたことへの「腹いせ評」だもの。今度のサッカーW杯にしても、評論家諸氏の掌の返しようといったら、魚も溺れるほどの驚きだ。
 僕は、ザッケローニさんも選手たちもよくやったと思っている。そりゃ、目が頭の後ろにも付いているようなメッシやネイマールたちと比較したんじゃ可愛そうですよ。運も無かったし、技術も足りなかったかも知れない。だけど、勝とうと真剣に頑張ったことは確かだし、ランク通りの実力を出したことも確かだったと僕は思っている。
 それにしてもスポーツの評論家たちって、面白いことを平気で言う。「あそこで決めなかったのが敗因ですね」とか、「シュートは、最低でも枠内に打つべきですよ」とか、すご〜く面白い。プロ野球なんかでも、バッターに立ち向かう投手に対して「ここは、一点もやれないところですよ」なんてことをシャーシャーと言っている。「バーカ!」って叫ぶか、であらずんば嗤うしかない。
 そこで今日のひとしずく
『願望と論評を、同じ皿に盛り合わせて喰わせるな』