ひとしずく。その56

 日本の若者は「自分に自信がなく、将来に希望が持てない」という人が多いのだそうだ。政府が先ごろ閣議決定した『子ども・若者白書』による。
 調査は、日、韓、米、英、独、仏とスウェーデン七カ国の13〜29歳男女を対象に実施。それによると、「自分自身に満足している」と答えたのは、日本が45.8%で最下位。他国はすべて70%超だから、ダントツのペケですね。「将来に明るい希望を持っているか?」の問いにも、日本は「ハイ」が61.6%で最下位。他はすべて80%超だから、これもダントツのペケですなあ。
 この結果を見て「近頃の若者は…」と言い出す日本の壮・老世代は、自分たちがそうした若者を作ってしまっていることに気づいていないと僕は思う。国を挙げてそうした若者を生み出しているということに、まったく気づいていないと思う。「三つ子の魂百まで」と言うように、幼少年期に作られた人間行動の基礎となる性格は、本人の努力だけでは容易に変えられないものなのだ。
 感性を蔑ろにして目先だけを追う社会を、社会全体が、みんなで汗して作ってしまった。そこだね、問題は。
 話が変わったかに見えて申し訳ないけど、僕は山中那須での入浴中、よく唱歌を口ずさむ。「故郷」「朧月夜」「紅葉」「春の小川」「春が来た」など。
 さてね、これらすべてが同じコンビの作詞(高野辰之)作曲(岡野貞一)だとご存知? どれも百年歌い継がれている歌だとご存知? 
 でも、世紀を超えて歌われ続ける歌を同人物が何曲も作るなんて、もう無理でしょう。だって、『縮小社会』というものを端からバカにするような社会になっちゃったんだもの。感性なくして「百年続けて心の琴線に触れ続ける歌」なんて、生み出せるはずがない。
 感性が失われてしまった社会(政治)。感性を注入されもしない若者が、生きることへの自信や希望なんて持てるはずがない。もし、自己肯定感の高い若者を望むなら、それは期待するのではなく、自分たちでそうなる環境を与えてやること。そのことに政治も社会も早く気付かなくちゃあ。…な〜んちゃって、ちょっと偉そうに言い過ぎたかなあ僕。…まあいいや。
 そこで今日のひとしずく
『急ぐものは雑草の美しさを知らない。感性は雑草の中』