ひとしずく。その55

 山本夏彦は生前、「人が神になった」と嘆いていた。曰く、赤ん坊は計画的に産むと言うし、天空の月に行くと言うし、天気を左右して雨を自在に降らせると言う。「以前神々にしか出来なかったことを、平気でやり出した」─と。そして、「近く人類にバチが当たるのではないかと思っている。当たっても、仕方がないと思っている」と結んでいる。
 なるほどその後も、人は神へとまっしぐら。人間に勝る人工知能を開発し、それを試すチューイング・テストも合格させたし、コケても執念を見せる小保方さんもいるし、残業代をゼロにしてでも「走れ!」と進軍ラッパが吹き鳴らす人もいるし…。
 もっとも、神にしては抜けているところもあり、その辺に人間臭が残っている。例えば、大津波を受けた途端「海岸べりを片っ端からコンクリートの大岸壁で堅めちゃえ」なんて言ったりする。いや、僕はそれを嗤うわけではない。大津波への対処は必要なのだから。でもね、ロクな論議もせず慌てふためいて「大岸壁だぁ〜っ、は無いでしょう」と言いたいのですよ。百年に一度の災害対処に、一年の論議もないまま、海だけを逆恨みしていいものか。論議を尽くした上で「やっぱり大岸壁だ」というのなら、それを僕は嗤わない。「自身にとっての不快モン」を仮想の敵に仕立て上げ、論議を放り出したまま「それ行けドンドン!」とやるだけだったら、あの人の〝幼稚な手法〟と変わらないじゃないですか。
 そう言えばあの人、気位が神だなあ。総理の椅子を「唯我独尊の椅子」だと思っている風ですもんね。いけないなあ、人間が神になろうなんて。
 そこで今日のひとしずく
『人は人でいいじゃない。少々の悪徳なら許されるし』