ひとしずく。その54

 4Kの試験放送が始まった。4Kとは、きめ細かい高画質映像が見られるテレビ放送のこと。政府は、これをIT戦略に盛り込んで後押ししている。新藤総務相は「2020年の東京五輪には、迫真迫力の映像を楽しんでいただけるよう実現を期したい」とハシャイでいる。その心は、再びテレビの買い替え旋風が巻き起こせる。そうなれば経済市場に反映できる。つまりはテレビ番組も含めたオールジャパンの国際競争力を強めることができる。…とまあ「国土強靭化」とか「積極的平和主義」とか「何々戦略」だ「戦術」だと、何かと強く在りたい人の側近らしい忠勤談話を述べている。
 電機メーカーは大喜び。家電エコポイントとか、地上デジタル完全移行特需とか、「あの夢を、また政府が演出してくれる!」みたいに思っているんでしょうねえ。
 しかし、喜びの陰に憂いあり。前例の特需で困ったのは、年金生活者を含めた低所得者層でしたよね。まだ映っているテレビを「買い替えなくては見せないぞ」と脅されたんですもん。今度の4Kも、それを見るには、対応の受信機が必要だし、HDMIケーブルやCS放送アンテナを用意しなくてはいけないんですから。
 テレビ放送は僕が小学六年の時に始まった。最初はひどい画像だったが、「これはそういうもの」と、さして不満も持たずに楽しんだ。高校三年のときにカラー化された。その画像の美しさにびっくりした。その後もテレビは進化を続け、画像はますます鮮明化された。
 その時点で、僕はもうあの画像で充分だった。それなのに、誰の欲を満たしたいのか、貧乏人にテレビを買い替えさせてまでテレビの鮮明化が続く。地上デジタル化で我が家のテレビは、「まだ生きているよ〜う!」と叫びつつ三台が死んだ。僕など「もう充分です。今のままで結構。これ以上は消化不良です」と白旗を挙げているのに、「いや、まだまだまだ」と、こっちの財布も考えないで今度は4Kを喰わそうとしている。2016年には8Kも控えていると聞いて「ヒェーッ」と叫び、「ああ、その頃は僕、もう生きていないかもね」と、訳の解らん落とし所で自己納得する始末。「もうイイってーぇの、進軍ラッパは!」。
 そこで今日のひとしずく
『爆発は、膨張のあとに生まれる』