ひとしずく。その53

 心の病の名称や用語について、日本精神神経学会が新しい指針を作って公表した。幾つかを挙げるなら、「アルコール依存症」は「アルコール使用障害」に、「性同一性障害」は「性別違和」に、「神経性無食欲症(拒絶症)」は「神経性やせ症」に─といった塩梅。理屈はいろいろあろう。「神経性無食欲症」に関して言えば、「食欲がないわけではなく、やせたいという願望があるのだから」だそうである。
 名称・用語・言葉の言い換えは、年々歳々味噌クソ続々行われて来た。足の不自由な人を「びっこ」などと言ってはいけない。「つんぼ」「かたわ」「めっかち」…当然良くない。良くない言葉をたくさん改めた。そうすべきであったからで、それは良いことだ。
 だけど、「えっ、それまで改めなくてはいけないの?」と思うものもたくさんあった。子どもの頃、僕は「小使いさん」という呼び名の中から、「何でも知っているし何でも出来る、素晴らしいおじさん」という尊敬と親愛を含んだものを汲み取っていた。それが「用務員」になり「校務員」になり、段々遠くへ行ってしまった感じを抱く。かつてのスチュワーデスも、エアホステスだの客室乗務員だの、着せ替え人形じゃあるまいし。
 差別はいけない。だけど、何でもかんでも博愛ぶって呼び名を変えることを、僕としては諒としかねる。呼び名を改め見栄えを整えたとしても、そのモノ自身が変わるわけではない。たとえそれが差別であったとして、名を変えたことで差別と決別できるわけではない。現実はそのまま残るのだ。改めるべきは名称や言葉ではなく、「差別と思われる現実」そのものの改善である。
 僕はこの世の中、表面的な化粧ばかりに熱心となり、内面的俗悪化を放置、あるいは培養しているのではないかと、常々危ぶんでいるのである。
 そこで今日のひとしずく
『言葉づらで差別は消えないい』