ひとしずく。その49

 昔は粗末なものを綺麗に着ていた。今は高価なものを粗末に着ている。…と書き出したのは、官房長官の会見の模様を今し方テレビで見たからだ。
 今年も五月一日からクールビズに入った。よって官房長官は節電の範を垂らさんと、五月一日以降、暑くない日でも、ノーネクタイに引っ掛け背広という粗末な格好で、毎日、主権者たる国民と向き合っている。あれじゃサラリーマンのアフター・ファイブだね。「きょうはどこの焼き鳥屋だい?」って聞きたくなっちゃうもん。しかしまあ、国民を心から主権者だと思っているわけではないだろうから、あんなもんかも知れないなあ。
去年だったか一昨年だったか、環境省が「Tシャツ、ジーパン、アロハシャツも公務で認める」と発表したのを記憶している。企業にも「そうしたら?」なんて、いらぬ同調を呼びかけていたっけ。
 勘違いしてやしないかねえ。数年前、厚労省だったかの役人が、トンデモないことをしでかしてしまったことでの謝罪会見に、ノーネクタイ引っかけ背広で臨んだときは、唖然、茫然、息を飲み、どこに謝罪の意思があるのかと疑った。今考えれば、心の中は謝罪どころか舌を出していたんだろうから、当然の態度だったのかもね。
 南国のアロハは正装としても認められている。同様のものとして日本にも「解禁シャツ」がある。これなら背広もネクタイも必要ない。室内でボタンを外した背広なんか引っ掛けているより余程涼しい。
 服装はその人の心のありようを映し出す。高価なものでも粗末に着れば、顔そのものまで粗末になる。子どもは、そんな大人を見て育つ。
 節電の精神は貴い。ゆえに範を垂らしたいと思うなら、やりようは他にいくらでもある。チャラチャラずぼらに赤じゅうたんなんか踏んでいないで、議員会館と議事堂の僅かな間ぐらい、自身の足で歩けば、それで充分ですよ。範を垂らすなどと称して、子どもたちに「誤ったけじめの範」なんか垂らさないで欲しいなあ。
 そこで今日のひとしずく
『意識した善行ならやめた方がいい。善行の皮を剥ぐと、しばしば不善の臭いがする』