ひとしずく。その46

 僕がまだ20代の頃、会話をしたこともない人事部長から「ねこちゃん」と呼ばれ、ビックリすると同時に臍下丹田ゾゾゾ〜ッとしたことを、半世紀近く過ぎた今でもハッキリ憶えている。「ねこちゃん」は社での愛称だったから、そう呼ばれて不思議はないのだが、それは親しい人に限られる。普段会話も無い人から、そんな呼ばれ方されたら気持ちが悪い。
 いえね、銀座の高級すし店に客を連れ込んだウチらの代表が、それほど親しかったとは思えないその客に、旧来の仲間のように「バラク」と言ったのを聞いて、当時受けた人事部長からのゾゾゾ〜ッを想い出しちゃったんですよ。遠来の相手さま、ちっとも親しそうな顔していなかったもんでね。
 それにしてもあの寿司屋、最低三万円からとか聴いたけど、事実ならそんな寿司、ゴチになっても食べたくないね。正しく暮らしている人では入れない店。そういう店に喜んで入る人。そういう人しか相手にしない店。庶民を蟻んこのように見下している人たちの世界に飛び込んで食べたって、旨い筈がない。第一そんな食品、僕らの貧乏腹では消化しないもの。
 それにね、本当の「おもてなし」をしたいと思ったら、コトブキ色した小判なんかがチラつかない所がいい。純真誠心、高抜きで「おいしい!」と言って貰える所がいい。
 もうひとつ、僕が「おもてなし」を受けるとしたら、いきなり「たかし」なんて呼ばれたくない。呼ばれていいかどうかは、呼ぶ人ではなく、呼ばれる人がどう思うかで決まるんですよね。子どもたちの仲間づくりを見ていれば解るもん。
 そこで今日のひとしずく
『真の親しみは、演出からでは生まれない』