ひとしずく。その45

 春からは那須滞在が多い。そこには置き電話がない。インターネットも引いていない。テレビはあるけど、BS・CSはない。新聞もない。唯一ケイタイはあるが、僕のケイタイ番号を知る者は家族含めて極めて少人数で、彼らはまた、余程の事がない限り着信音を鳴らさない。せいぜい娘たちがオチョクリ・メールを寄こす程度だ。娘らのメールはオナラみたいなもんで、時々はあった方が灰汁抜きになる。
 オチョクルだけならいいけど、重要事項の伝達手段としてのメールはダメですな。電子メールってやつは、真実の喜怒哀楽を伝えることが苦手なんだよね。いかにも現代仕様の「危険な遊び道具」って感じで、時に真意をひん曲げたりする。誤解の上に誤解を重ね、誤解建ての塔から転落しようものなら、生涯、疫病神を背負い込むことにだってなりかねない。
 その点、手紙は素晴らしい。僕は細川紙の巻紙と筆を使う。つまり肉筆ですな。肉筆は機械が打ち出す文字とは違うから、書き手の心を相手様が読み取ってくれる。
 そんな素晴らしい文化なのに、手紙・ハガキの書き方を知らない若者が増えていると聞いて落胆した。去年の全国学力調査で、中3にハガキの宛名を書く問題を出したところ、正答率が74%だったんだと。その結果に対して親や先生は「それがどうしたの?」って感じらしい。「便利なメールが面倒な手紙に取って代わって何が悪い?」と居直っているみたい。
 リンゴは、皮が剥けなくても喰えるからいいけれど、手紙の宛名が書けないと、大切な人に細やかな感情一つ伝えられない。
 そもそもメールとは、電報の進化媒体ではあろうけど、手紙とは異質のもの。要ること以上に要らぬことを伝えてしまう危険物ですぜえ。真の友を失いかねない「魔法の電波」なんですぜえ。僕は「メール」を漢字で「滅入る」と書く。
 そこで今日のひとしずく
『注意! 真の友も指一本でたちまち消える』