ひとしずく。その41

 以前、東京千代田区の中学校に招かれ、全校生を前に『感動ょしよう!』というテーマの講演をしたことがある。「中学生諸君、心して感動しよう。花の香り、鳥のさえずり、流れる雲、打ち寄せる波。そのことごとくに感動のタネは宿っている。感動をしっかりと見詰めると、きっとそこに「羽ばたく自分」を発見できる」といった趣旨で一時間半。
 そのとき、自分の言葉に自分で感動し、じわり涙が出て来たときは「おらあ、もうまいっただよ」。
 僕は昔から涙もろい。娘とテレビアニメの『フランダースの犬』なんか見るとなると、もう大変。妻から「なんで『フランダースの犬』のときだけ、寝ころんでお尻をこっちに向けるの?」と本気で訊かれた。
 そんな僕の涙腺がますますオカシクなって、最近は、家族との会話中も涙を流す。あんまり酷いから医者に行ったら、「ああ、涙腺が完全に詰まってる」と言われた。涙腺には、誰に限らず絶えず涙が流れていて、感情への刺激が大きいときは、増量する涙を涙腺だけでは処理できなくなり、その分が眼から外部に零れ出すのだと言う。だから、喜怒哀楽、感動のタネが大きいときは、誰でも涙を流すのだそうだ。
 僕は「涙腺を元通り開通させましょう」と言う医者の言に従ったけど、やってみたらこれが痛いのなんのって。眼から細い鉄棒突っ込んでゴリゴリ。鼻から口へと涙腺をブッ通す。あんなの医術じゃない。昭和三十年代の京浜工業地帯の職人さんだって、あんな野蛮なことはしていなかった。僕はあんまり痛いから「もう僕、死ぬまで涙と仲良く暮らす!」と宣言し、泣きながら家へ逃げ帰った。だから、今日も泣きます。明日も泣きます。死ぬまで泣き続けてやる! 大体、泣くのがどこが悪い? 毎日が泣くほど感動出来る。こんな幸せなことはないではないか。さあ皆さん『感動をしよう!』。感動は心への栄養ですよ。
 そこで今日のひとしずく
『感動を失くした眼にはモノクロしか映らない』