ひとしずく。その39

「テレビもケイタイも無かったらどうする?」と僕の娘に訊いたら、「ドラマが見られないのと、待ち合わせのとき『トイレに寄るからちょっと遅れる』みたいな連絡が出来ないのはちょっと不便かな。でも、わたしは元々アナログ人間だからね」と、この種の利器などどうでもよさそうな答えが返った。
 その娘の長男、つまり僕の孫は来月中学三年生。スマホもケイタイも持っていない。「あんなもの、うるさいだけだから要らない」と保持欲サラサラ無し。運動系部活、宿題、読書、ときにテレビゲーム、あとは何をやっているか知らないが、隠れて何かをやっているフシは無い。
 こんなことを書き出したのは、私用スマホを使わない社員には毎月五千円の奨励金を出す会社が現れた─との新聞報道を読んだからですな。社長曰く「人と話す。本を読む。物思いに耽る。そんなアナログ的時間と空間が増えれば、想像力、表現力、他人をおもんばかる力がつく。十年もしたら相当に差が出て、企業としての競争力がつくと思う」─と。
 スマホは、今や主務が電話ではない。現代の阿片だと言う人もいる。阿片は麻薬。麻薬は抜け出し難い中毒症状を招く。自らの中毒度を量るため、スマホを一週間ほど押入れの奥に預けてみる気、あなたあります?
 そこで今日のひとしずく
『どう使おうと勝手だが、時間って奴は、人によって流れる速さを異にしている』