ひとしずく。その34

 先日、デジカメとケイタイを拾った。妻は運転免許証を拾った。デジカメとケイタイは交番に届け、免許証は僕も一緒になって保持者の自宅を探し当て、直接本人に届けた。
 それより先、やはり自宅周辺でむっくりした財布を拾った。中には現金17万円とデパートの商品券50数万円分、さらに銀行カード類が10数枚。交番に届けたら、検品記載などで40分超の時間を取られた。 
 那須山中でも財布やら何やらを拾ったりと、僕はモノをよく拾う。トボトボと、あだしが原でも行くように歩いているわけではない。「クック、クック…」と、ハトのように歩いているわけでもない。それでも拾っちゃうのは、世の中が意外や豊かなのではないだろうか? オレオレ詐欺の被害だって、大層なおカネを誰に相談するでもなく、老人が瞬時に右から左へと動かした結果ではないか。僕など、その悲劇を感じる以前に、被害者たちの保有ぶりに驚いて、「はて、貧乏人は僕だけか?」と思ってしまう。
 まあ、有るところには有るってことでしょうね。有るのは結構です。でも、その〝有る人たち〟までが、「もっともっと豊かにしてよ」と言う。あの人が、特秘法だ、武器三原則の見直しだ、集団的自衛権の行使容認だ、国防軍だ、原発輸出だ、憲法改正だ…と隅田川の花火大会みたいに打ち上げても、「いいのいいの。経済上げてくれればいいんだから…」なんて悠長に、国民の多くがユルフン状態。小心者の僕なんか、「ほんとにいいの?」とオロオロする。
 そこで今日のひとしずく
『人は不幸を感じるレベルまで必ずのぼせ上がる』