ひとしずく。その27

 今朝の散歩は、うっすら積もった雪の中。見上げれば居待月あたりだろうか、煌々の明るいお盆が浮かんでいたです。七十男の脳裏に浮かぶのは〈月+雪=酒〉という図式。だからランチは妻を誘い、しゃぶしゃぶで一杯やって来たですよ。
 …で、いま帰宅して考えたです。「月が煌々と輝いていたから…」とか、「白い雪が美しかったから…」とか、どうしてそれが「酒に結びついちゃうのかなあ?」って。単純過ぎますよね。
 蛍雪時代は……ウソウソ。苦労して学問なんかに励んでいなかったから蛍雪時代じゃなく、単なる悪たれ時代ですけどね、あの頃は未成年のくせして酒も結構飲んだけど、心にあるのは酒より夢。抱えきれないほどの夢を抱えていたですなあ。
 うん。そこまで考えたときハッとしたね。これまでは「若い頃の夢の多くは叶わなかった」と、そんな漠然とした気持ちがあったのだけど、「それは違うぞ!」と思ったですよ。「夢は、ことごとく叶っているではないか」─と。その考えが、爆風の如く胸の中から吹き出したんですな。
 当時、夢は無数にあった。プロ野球選手になりたいなどと思った小学時から始まって、彼女が欲しい、楽器が弾けるようになりたい、海外旅行がしたい、英語の一つも喋りたい、バカっぽい仕事がしたい、結婚したい、自前の家が欲しい、車が欲しい、本の一つも書いてみたい、教壇に立ってみたい…まずまずもって望みの丈に限りは無かったが、そのどれもが叶っていたではないか。
「嘘つけ。プロ野球選手にもなっていないし、楽器も弾けない、英語のエの字も分からんじゃないか」と妻子も友も言うだろう。それは確かにその通りだ。だがね、パットも振らず、ギターに爪もあてず、単語も覚えようとせず…。つまり、努力もなく目が覚めたら叶っていた─なんて夢、人の世にあるはずがないのである。画筆も握らず画家になった人はいない。行為なくして子どもを生んだ人はいない。それに向かう努力があって、そこで初めて夢は実現するのである。
 というわけで、努力をしなかった分を差っ引けば、僕のこれまでの人生の夢は、想いの九割が叶っている─などと、いま、酔った頭でパソコン打ち打ち、そんなことを考えているですよ。欠伸が出て来た。酔眼が翳む。おぼろ…。
 急いで今日のひとしずく
『次に生まれて来る時も、今と同じ人生でよい。日記に書いた事実が、少しづつ修正出来るなら』