ひとしずく。その24

 毎年、松が明けると机上を整理する。筆、硯、顔彩、印泥などを片づけ、頂いた年賀状や古い日記帳などを仕舞う。
 賀状を仕舞いがてら見直したら、面白い傾向が浮かび上がった。宛名書きは別にして、一語の肉筆も添えられていないものが24%あり、そのほとんどがこの十年来お会いしていない方々だったこと。(当然ながら、僕自身に宛てた文面をパソコンで打って下さった方々は別ですよ。)面影も薄れ、賀状だけの付き合いとなって四十年以上という人も数人おりましたね。そうした方々との賀状交換は、そろそろお終いにしてもいいんじゃないかな…と思うこともあったけど、一方的では失礼かと、そのまま続けてまいった次第。
 それを切らなくてよかったと思うことが、昨年、二件ありました。53年間会うこともなく賀状だけの交換を続けていた大阪の旧友と東京で、また、48年間同じく賀状だけの交換だった北海道の旧友とは札幌で、それぞれ酒を酌み交わしたのですよ。最初のうちは(こいつ、こんな顔だったっけ?)─なんぞと思いながら、互いに探り合うごときの口利きだったが、五分を過ぎたあたりから「俺君言葉」が復活した。古い友は「僕自身が忘れてしまっていた僕」を連れて来てくれるから楽しい。
 北海道の彼とはその後も一度飲み、今年の再会も約束している。大阪の彼の賀状には「半世紀ぶりの友人と再会した」との旧年トピックスが印刷されていた。
 北の友も西の友も、賀状が義理ではなかったわけですよね。
 そこで今日のひとしずく
『古〜い友は、風化したかの若い僕を連れて来る』