運のいいやつ

 かつて報道局に在籍中、僕は多くの先輩を失った。高木カメラマンと日下記者は、ベトナム戦争の中で散った。国会担当の緩利記者は、連日連夜の夜討ち朝駆け疲労を溜め込んで散った。村上カメラマンは遭難船の取材に出たまま、セスナ機と共に海に消えた。佐竹カメラマンは、科学技術庁の土砂崩れ実験の取材中、その土砂を被って絶命した。中東戦争に散った後輩もいる。
 僕にも危機はあった。大学紛争取材中、明大校舎屋上から全共闘の学生らによって投げられた机や椅子が、僕の頭をかすめて落ちた。僕は危うく難を逃れたが、他社の記者がそれを受けて命を落とした。仕事で乗った飛行機が火を噴いたり草むらに突っ込んだりしたことはすでに書いた。
「おまえは運のいいやつだ」と、その都度みんなに言われたものだ。
 そうかも知れない。考えて見れば、運がいいのは僕だけではなく、今この世にいる多くの人が、この時点では運がいい。運が悪かったら、すでにこの世を去ってしまっているはずだから─。
 よく「降って湧いた不幸」と言うけれど、不幸とは、本来がそういうもの。目前の一分一秒の中にさえ、砂漠の砂の数ほどの〝不幸のタネ〟が、満遍なく散りばめられているのである。
 那須での散歩仲間の神山さんの奥さんが、以前スズメバチに襲われた。駆けつけたご主人は、僕が泡を食って見守る中、キンチョールを噴霧しつつ特攻隊さながらに大群の中へと突撃し、奥さんと愛犬を救出した。蠅や蚊を追うあんなものでスズメバチの大群と一戦交えるとは、無謀も甚だしいことだったが、たった一刺しで絶命する人もいるというオオスズメバチの毒矢を受けた奥さんが、三日間の腫れと熱で快復したのは、如何にも幸運と呼ぶしかない。
 三軒先の大沢さんの奥さんは、散歩中に熊と出会ったが、二匹の大型犬を連れていたからか、熊の方が逃げてくれて幸運だった。
 僕の散歩仲間は五、六人居る。全員が七十代。連れ立って、よったらよったら歩む姿は七日目を迎えたセミの日暮れ時を思わせるが、サルを見ると手製のパチンコで威嚇したり、朽木を見ると蹴り倒したりする。朽木に負けて自分が撥ね倒されることもあるが…。その人たちに「死ぬかと思ったことってある?」と訊いてみた。すると、答えがド〜ンと返って来た。危機一髪、一触即発、絶体絶命,半死一生、出るわ出るわの恐怖体験。誰もが数え切れない危機をすり抜けて、今日ここに在るのであった。
 危機一髪からの生還は、歳月を経ると、それは熟成された酒のように、想い出深い美酒となる。そこで、わが美酒話をひとくさり。
 二十代の中頃、同僚のK君と上野のバーにふらりと入った。カウンターに掛けてハイボールを注文したが、店の女の雰囲気がやけに暗い。面白くないから一杯で出ることにして「幾ら?」と尋ねたら、女はぶっきら棒に「一万五千」と言った。
 バカな! こっちはツマミなしで安ウィスキーのハイボール、二人合わせて二杯きりだ。当時の相場で言えば、高くてせいぜい五百円。「ふざけるな!」と怒鳴ってやったら、その女、顎をプイッと上げ、「やっちゃん呼ぶよ」と抜かしやがった。
「呼びたきゃ呼べ」は、売り言葉に買い言葉。内心はビビッたけれど、このままでは引っ込みがつかない。K君も同じような性格だから、ついつい腰を挙げなかった。
 やがてドヤドヤと、八人の男どもが安階段を上って来た。
 先頭の男が僕たちを指差して「こいつらかい?」と女に訊いた。
「そうだよ。こいつらだよ」
 女の返事を受けると、男は僕に「オイッ」と凄んだ。そしてつぎに「あれっ?」と言った。
「何だよ。かねこじゃねえか」
「あらら、鈴木かよ」
 高校時代の同級生だったのである。
僕らは一万五千円どころか、このあと飲ませて貰ってすべてチャラ。
「じゃあ、いずれまた…」と言ったけど、以後今日まで会ってはいない。帰路K君が呆れ顔で僕に尋ねた。
「おまえの学校、どういう学校?」
 答える代わりに笑うしかなかった。

 池袋では、酔って歩いているところを悪徳バーに連れ込まれた。取り敢えずビール一本を注文して店内の様子を見ると、何となく怪しい。ビール一本飲み終わったところでトイレに立ち、財布の中身を千円札一枚にして、残りは靴下の中に隠した。代わりに数枚の名刺を入れる。
 トイレから戻って「帰る」と言ったら、案の定「三万円」の答えが返った。
 僕は財布を取り出して、「千円しかない」と言った。途端に陰から恐いお兄さんが現れて、僕の財布を引ったくった。中を覗くと、確かに千円しかない。「このやろう」と言いつつ名刺を読む。
「何だおまえ。警視庁記者クラブの金子?」
「そう。今からデスクにカネ借りて来るけど、タクシー代がないから、その千円、ひとまず返してくれます?」
 少し考えたふうだったが、お兄さんは千円を戻してくれた。「じゃ、行って来ます」と店を出たけど、クラブに行ってもこんな時間にデスクは居ないし、もともと店に戻るつもりなどない。北野たけしみたいな顔をしていたお兄さんだって、僕が戻るなんて思ってはいなかったろう。ビール、ごちそうさま。

 オーストラリア中央部の砂漠地帯を一人で歩行中、裸の部族に出喰わした。距離にして百メートル。僕は友好の証しに手を振って、彼らのもとに向かおうとした。ところが、次の瞬間総毛立った。彼らは槍を手にしていたが、それを僕に向かって投げ出したのだ。
「わーっ!」と叫び、僕は命からがら逃げ出した。彼らが僕を追う気なら、たちまちのうちに捕まえたろう。きっと、からかっただけだと思う。でも、あのときの恐怖は忘れられない。あの想い出が美酒となるには、あと少々時間がかかる。

 不幸のタネは地雷の如く。でも、僕は今もこうして生きている。やっぱり僕は、運のいいやつなんだなあ。つくづくそう思って見上げると、那須連山の主峰茶臼岳の煙がたなびく。活断層がどうあろうと、僕の生きている間は「あそこが爆発することはないだろう」と言ったら、恐がることを趣味にしているような妻が「いいわねえ。ほんと、楽天家なんだから…」と言った。お生憎様。