はやまるべからず

わが家からそう遠くない所に大きな橋があり、お盆や彼岸になると、よく花束が欄干にくくりつけられる。散歩仲間に訊いたら「あそこは自殺の名所だから…」と教えてくれた。成程と思うと同時に、僕は以前読んだことのある不思議な新聞記事を思い出した。その記事とは…。
 ある高校生が親にメールで自殺をほのめかせて行方不明となった。連絡を受けた警察が捜したところ、橋から身を投げ事切れていた少年を発見…というもの。この記事で僕が不思議に思ったのは、少年がどこの町にある学校の生徒で、橋が何と言う橋で、何川に架かった橋なのか、それらが何一つ書かれていなかったことである。
 散歩仲間が言う。「自殺が自殺を呼ぶから、青木ケ原の樹海みたいに、自殺の名所として広く知らしめたくない─ということだ」と。
 その気持ちは充分理解できる。「だけど…」と僕は思う。マスコミが事実を伝えることは、何よりもの使命だ。隠すことが国を危うくする─と言えば大袈裟に聞こえるかも知れないが、日本が太平洋戦争に突入したのは、軍部が報道コントロールをしたからではないか? TBSが坂本弁護士のインタビューを事前にオウム真理教幹部に見せたことを隠さなかったら、弁護士一家は無事だったのではないか? 場合によっては、地下鉄サリン事件も防げたのではないか?
 事実を伝えて起こる弊害より、伝えなかったことで被る弊害の方が遥かに大きいということは、歴史が随所で物語っている。
 少年の自殺にしても、少年の名や住所、学校名などを伏せることはいいとしても、そこが何川に架かる何という橋であるかまで隠す必要があったのだろうか。隠さず伝えるべきだったと僕は思う。その上で、町も警察もマスコミも、そこを自殺の名所にさせない方策を、こぞって真剣に考えるべきだと思う。逃げるだけでは、そこは「自殺の名所」から抜け出せない。永遠に、望まぬ汚名を背負ったままの町になる…と僕は思う。
 ところでわが町には、他にも大きな橋が幾つかある。あるとき、そのうちの一つの橋のたもとの店に、血だらけのお嬢さんが飛び込んで来た。「救急車を!」と叫んだそうだ。店主は「大事故だ!」とばかり救急車を呼んで病院へ送り込んだが、これは事故ではなく事件だった。自ら川に飛び込んだのだ。ところが、当たり所が悪かったのか、命は助かり大けがをした。自殺しておいて「救急車を!」はないもんだが、さぞや痛かったということだろう。
 お嬢さん。これを機に自殺なんかしないことだよ。悲しみは必ず風化するんだからね。天国には「はやまった」と悔やんでいる人が、たくさん居ると僕は思っているんだよ。ホント!