夏の庭は虫の春

背中にオレンジ色の斑を持ったカメ虫みたいなやつが二匹、庭のチェリーセージの葉の上で交尾を始めた。
 猫の盛りは春先だが、僕が庭で見る限り、虫にとっての恋の季節は春ではなくて夏らしい。無粋にも枝葉や草花の陰などを観て回ったら、寄り添い、重なり、尻合わせ、羨望の的はここかしこ。
 トンボの交尾は、今年はまだ見ていないが、昨年はずいぶんと見た。散歩仲間の年配女性と立ち話をしていたその中間に、つながったままのギンヤンマがスト〜ンと落ちて来たときは、「あれまあ」と笑った。無傷のギンヤンマが易々二匹も手に入るのだから、子どものころなら興奮もしたろうに、その意味でも、別の意味でも、もはや興奮などない。古希の男女は淡々としたまま、その情景への感想を述べた。
「何もそんな姿で、こんなところに落ちなくても…」
「夢中になり過ぎちゃったんだろうねえ」
 中味がすっかり枯れているなあ。半世紀も前の青年と乙女に巻き戻せたら、少しは違った会話になっていたろうに…。
 子どものころ、秘め事の途中で水をぶっかけられ、天国から地獄へと暗転、苦界をのた打ち回る連結犬を見たことがある。そのときの僕は、どういうことが原因で二匹がつながってしまったのか判らなかった。また飼い主のおっさんが、なぜバケツの水をぶっかけたのか、その理由も判らなかった。ただ、おっさんの水かけ行為が正しいことではないような、そんなことは薄々心の隅で感じていた。キャンキャンキャンと阿鼻叫喚の悲鳴が響き、可哀想で可哀想で、まともに観てはいられなかった。
 今朝、カメ虫もどきの交尾を見たことで、数年前のラジオ夏休み企画『もしもし子ども電話相談室』を思い出した。確か日記に書いたはずだと開いてみる。あった。(そんなことまで、よう日記に書きよる…と、呆れているでしょうなあ。あなた)
 その記述によれば…。「オンブバッタという名のバッタがいるけど、どうしてそういう名前が付いたのですか?」という質問に、昆虫担当の先生が答える。
「バッタにはショウリョウバッタとかトノサマバッタとか、色々種類が多いよね。そのほとんどが、大きなメスの上に小さなオスが乗るんだよね。バッタはみんなおんぶする。それなのに、オンブバッタだけが〝おんぶ〟の名を独占している。なぜだろうって思ったんだよね。いい質問ですよ」と続き、以下を要約すると、オンブバッタ以外のバッタは成虫になるまでメスの背中に乗らないが、オンブバッタは性機能が備わらないうちからメスの背に乗り、「オレ、大人になったらおまえと結婚する」と宣言するのだそうだ。
 幼少にしてのイイナズケ宣言。乗られた乙女は、子どものうちから将来のぐうたら亭主を背負って生きることになる。「ひでぇーっ」と思うでしょう? 例えばトノサマバッタ。彼らは寿命をこの世に十日ほど残す段になってから、ようやくメスの背に乗って交尾する。それを済ますとさっさと降りる。どうです、この差。「ムムムムーッ」と来て、思わず日記に書いてしまった。
 その虫たちの「虫の春」。どうぞどうぞ、夏のわが家の庭をご自由に─。想えば遠くへ来たもんだ。僕には昔の物語。