毎日通る情報屋さん

平日の森は閑散としているから、時たま声が聴こえたりすると「何奴か?」とか「何事ぞ?」とばかり、僕も妻も窓辺に走って外の様子を窺ったりする。世を欺いて生きているので追手を恐れている…というわけではない。ただ単に「人間だ!」という単純な興味に駆られているだけだ。
 わが家の前は斯くの如くの「閑古鳥通り」だが、「完全無人道」というわけではない。犬の散歩などで日に何人かは通る。
 いつぞやの深編み笠のおばさんもその一人。ご主人と朝昼二回やって来る。おばさん(チャコさん)は僕の一つ上だった。ご主人(テルさん)は僕の七つ上。合わせて百五十一歳が、雨が降ろうと槍が降ろうと「豪雨台風何するものぞ」と難儀な坂を登って来る。その根性に恐れ入って、背中にネジでも付いてやしないかと疑ってしまう。
 根性に加えて話題が豊富。この近辺で起こったことは、何でも知っているし教えてもくれる。チャコさんの話題は役立つものが多いが、テルさんの話題は面白さが中心となる。例えば─。
「女は怖いね」
「どうして?」
「どうもこうも、現金から預金まで一切合財持ち逃げした女がいてね」
「そりゃまた悪質だ」
「それが他人じゃないの。ほら、あそこの道を、あっちへああ行ったところのかみさんなんだね。お互い気をつけなきゃね」なんてことを言う。
 数日前にはこんな話もした。
「この時期、道路が混んでねえ」
「行楽地だからね。梅雨が明けたらもっと混むよね」
「そうじゃないの。ほら、うちからず〜っと登って行った沼の横の道の話」
「そこがどう混むって?」
「混むのはカエル」
「カエルが?」
 テルさんの家の前の道を湯本方面に登って行くと、右に大きな沼だか池だかがある。そこのオタマジャクシがカエルとなって、朝の五時ごろ道路をゾロゾロ横断するのだとか。その時間は折悪しく、湯本のホテル群の従業員たちの出勤時刻と重なる。車が続々登るから、カエルたちは、さながら集団自殺の有様になるのだそうだ。
「毎朝たくさんのカエルたちが『帰らぬカエル』になっちゃうんだね」
「そりゃまた気の毒ではあるけれど、そこを歩くとなると勇気がいるなあ」と言ったら、テルさんはニ〜イっと笑って「それが、勇気なんていらないんだなあ」とナゾカケジジイみたいに言った。
「どうして?」
「掃除屋が居るからね。一時間もしないうちに奇麗にしてくれるんだ。誰も頼んでいないのにね」
「へ〜え、奇特な人が居るんだなあ」
「奇特かどうか…」
「と言うと?」
「カラスだから」
 な〜るほど。都会のカラスは収集ゴミを喰い散らかす害鳥だが、山のカラスは掃除屋さんの益鳥だったという話。
 一日一話が毎日続く。
「こっちに住んでもドップリ漬かっちゃダメ。うっかり地元の葬儀に出たりすると、参列者じゃなく遺族の下僕にされちゃうからね」
「新聞取っても、留守にしてポストに溜めちゃダメですよ。この間、留守中の別荘にプータロウが入り込んで、冷蔵庫のものを喰って泊って、ついでに着ているもの脱いで、洗濯機まで回って行ったんだって」
「庭石を引っくり返したら、毒ヘビ(ヤマカガシ)の卵がずら〜っと出て来てね、仕方がないから川に流しちゃった。海に出たら毒ウツボか何かになるかもね」
「鳥の巣箱を作ってやったら、ヤマガラだのコガラだの、鳥はいっぱい来たけれど、どいつも巣には入らないんだよね。毎日餌だけ喰い逃げ。躾けが悪いったらないよ、まったく」
 日々の便りを携えて、今日も貴重な情報屋さん夫婦がやって来る。