腹から声を出す

「ちょっとスーパーに行ってきます」と妻が出て行くと、まず一時間は戻らない。最寄りのスーパーでも十キロ近くあるし、少し規模の大きな所と思えば、往復三十キロ超のロングコースになるからだ。
 妻が出掛けた森は閑古鳥。「壁に耳あり柱に白あり」なんぞは俗世の言葉で、誰憚ることなく「王さまの耳はロバの耳!」と叫んだとして、せいぜいカラスが「アホーッ」と返すくらい。
 この環境が僕にとっては好都合。早速台本を取り出す。台本とは芝居の台本ですぞ。僕は、有られも無く市民劇団の一兵卒なのである。
 劇団へは生来の人見知りを克服すべく三年前に入ったのだが、そういう理由なら「人前という状況をほぼ無くした年齢(68才)からの入団というのが腑に落ちない」と友は怪しがる。「何を言うか」と僕は反論する。「そういう理由だからこそ、ここまで決断が遅れたのだ」と。大抵の友は「ふん」と鼻で笑いよる。
 さて、深閑の中、それでも念のため外の様子を窺ってから稽古に入る。演ずるは「日本のグリム」と称された佐々木喜善収集民話の一作品の語り部。じいさんのつもりで語るのだが、妻の前では絶対やらない。「古希を過ぎたじいさんが、じいさんのつもりはないでしょう」と絶対言うに決まっているから。
 いや、芝居の話はどうでもよい。ここで言いたいのは腹から声を出す効用だ。僕ばかりではなく、世に平凡な社会生活を営んでいる方々は、恐らく何年となく腹の底から声を出すということを、やっていないのではありませんかな? 一度やってみるといい。腹の底から声を出すと、意識せずとも胸が顎り前に出る。同時に、頭の中にモヤついている余計な思考が消えて無くなる。結果、精神的にも肉体的にも十パーセントは若返る。「古希もものかは、艶談義よし」なんて気にもなって来る。
 斯く効用に気づいた僕は、〝若返りのための語りモノ〟を創作する気になった。人見知りの克服も兼ねて、大人の紙芝居を創作しようというわけだ。思ったことをすぐ実行に移せるのが暇人の特権。即構想に入り、一週間ほどかけて『猫の富士詣り』という作品を完成させた。
 出来上がれば聴かせたくなる。向こう隣りに僕と同年輩のおじさんの別荘がある。このおじさん、某全国紙の編集局次長を務めた人。つまりブン屋さんだから口が悪い。僕もマスコミ上がりで口が宜しい方ではない。そんな二人だからベランダで酒を飲み出すと、他人の耳には罵しり合っているかのように聴こえるらしい。詭弁、御託、自家撞着、支離滅裂、針小棒大、頂門一針、罵詈雑言と何でもありだからね。
 そんな人を前にこの紙芝居を聴かせても、ロクなことにならないと思ったが、他に暇人を探す手間を考えたら、「ま、いっかあ」ということに…。
 結果は、大方の予想と期待を裏切ってごめんなさい。このおじさん、二十三分間という長い語りを一点集中聴き終わるや「面白いよ!」と言ってくれた。
 腹蔵無くモノを言い合える朋友は尊い。彼とは那須で往き逢うたびに酒をやる。口は悪いし博識だし、腹から声を出して罵しり合えるから、飲んでいて楽しい。