女の立ちション

 近所に住む(と言っても一キロ近くはあるが…)おばさんが、ときどき庭の片隅で立ちションしている。此れ見よがしではないが、人目を忍んでいる風でもない。そもそも自宅の庭なのだから、人目を忍ぶならツッカケを脱げば済むことだ。どうにも真意が測りかねる。本人の気持ちがどうあろうと、こっちは、そんなもの見たくない。
 立ちションは、昔は東京でも時々目にする光景だった。僕の場合、嫌な記憶が甦る。それは中学・高校時代に遡る。当時の僕らは、熱中野球少年であった。半ドンだった土曜の午後と日曜日は野球漬け。「土曜練習、日曜試合」に明け暮れていた。フランク永井の『夜霧の第二国道』がヒットしていた頃のことだ。
 その第二国道(第二京浜国道)が多摩川大橋を渡る地点に、僕らの草野球グラウンドがあった。まだマイカーブームに到らない時代だったが、東西を結ぶ基幹道は各種車両の往来がひっきりなし。その往来車両中、僕たちが恐れたのが観光バスだ。何台も連ねた観光バスが速度を落とすと、もういけません。減速バスは、決まって国道から土手に逸れて停車する。そうなると、僕らの試合にタイムが掛かる。
 バスのドアが開く。ドッと飛び出すおばさんたち。猪突土手を駆け降りる。着物の裾を捲り上げる、その仕草の可愛くないこと。「ほらよっ!」って感じ。そしてジャージャジャジャーッ!
 それは凄いの一言だ。一列横隊、落水の帯。これぞ天下のナイアガラだ。溜めに溜めた放尿は、どこまで続くか馬のよう。
 戦い終えて日が暮れて…じゃないけれど、やがておばさんたちは人心を取り戻す。さっきかなぐり捨てた羞恥心を拾い上げ、赤面の体で土手を上って行く。中には「あらやだ、見てたの? あなたたち」みたいな人も居たけれど、「あらやだ」って言われてもねえ…。
 全員土手を上がり切ってプレー再開。しかし、これを「一件落着」とは云わない。本当に恐ろしいことは、このあとにやって来る。
 神のいたずらに因縁をつけるわけではないが、なぜかこんなときに限って、打球がライトの頭上を越えるのだ。ライトは背走。僕らはタメ息。ボールが内野に戻ったとき、快晴下なのにボールはビチョビチョ。僕のポジションはファーストだったから、ランナーが二塁に居た場合、ライトからの返球は僕に戻る。ヌルッとしたボールを握った時点で、ランナーをホームで刺す意欲は失せた。
 しかしまあ汚いの何のと言ったって、あのときのボールの汚れは、ササッと水で洗えば落ちた。でもね、嘘をついて選手生命を脅かした事実を前にして尚、「不祥事ではない」と言ってのけたコミッショナーの名前入りボールの汚れは、相当の洗浄をしないと落ちないだろうなあ。