タンポポを喰う

 ゴールデンウィークは尚のことだが、土日祭日の那須の道路は車が長蛇のノッタラリン。古希族となった僕の蛇口の精度はすっかり落ちて、うっかりすると車中失禁を招く。
「そんなとき、わざわざ行かなくてもいいじゃない」と、妻は休日がらみの那須行きを渋る。〝何もしない1日〟─というものを「好し」と思っていないのだ。
 僕は違う。どこへ出掛けなくていいのである。ベランダでビール好し。庭でバーベキュー好し。去年は小ぶりの丸太や角材を調達して、玄関前に飾る人形五体を創作した。行きづりの人が立ち止まって見ているのを家の中から隠れ見て「むふふふふ…」。それだけで夜の酒の旨味が増すのだから、結構「ケ」だらけではないか。車でガツガツ奔り回るなんて必要ない。そんな気持ちがあるものから「オイラは先に行くぜ」とばかり、妻より数日先行することがある。
 ところが年代的なボケごろに来ているもんだから、独りになると〝迂闊〟が目立つ。今回は食材の調達を忘れた。
 買い出しとなると、一番近いスーパーでも片道九キロ。車はあっても、敢然と渋滞の中に飛び出す勇気は湧かない。「どうすんべえ?」と思案投げ首の中、管理事務所の鈴木さんが通り掛かり「あれ〜え、な〜んか悩んでるゥ?」と、栃木訛りの独特な抑揚で声を掛けてくれた。
 この人、僕としては「勲一等に叙してもいい」と思っているお助けマン。これまで僕は、この人から無理矢理草刈り機をふんだくったり、大雪の中でタイヤチェーンを巻いてもらったり、郵便ポストやガーデンテーブルを作ってもらったり…と、痒いところを隅から隅まで掻いてもらっている。
 そのお助けマン。「ふんふん」と僕の悩みを聴いたあと、いつものように「ケケケケケ…」と脳天から空を突くような声で笑ってから言った。
「だったらァ、タンポポ喰えばいいんでねえの」
タンポポを喰う? 根っこを?」
「じゃなくて花」
「あの黄色い花を喰う?」
 そんな野蛮なことが許されるのかと躊躇していたら、近くでペンションを切り盛っている夫婦がやって来た。この人らも僕にとってのお助け人。時折ランチに招いてくれる。
 その夫婦が「タンポポは酒の肴に最高だ」と口を揃えて言うではないか。しかし、この言葉は素直に聴けない。何しろこのダンナ、知らないキノコを採取して来て、「あれはダメでしたね。食後に腹痛を起こしましたから」と笑いながら僕に報告した人だもん。そんな人の薦めるタンポポを、いかに腹が減ったからと、食してしまっていいものか? 「喰いたい」「ダメ」「喰いたい」「ダメ」「喰いたい」「ダメ」…と恋占いみたいことを口ずさんでいたとき、ポ〜ンと甦ったのは「酒の肴」という言葉。この言葉はいけません。悪性ウイルスとなって垂涎糸を引く。「ひもじさと寒さと恋を比ぶれば、恥ずかしながらひもじさが先」と、こんな作者不詳の言葉まで脳の扉をこじ開けて出る。
 おお切ない! 見れば無数のタンポポが、庭を覆っているではないか。
「よし、喰ってやる!」
 僕はウッドデッキを駆け降りると、黄金の食材を幾つも摘んだ。関西のタンポポは白だそうだが、やはり喰うには黄色がいい。サツマイモだってトウモロコシだって、黄色い方が旨そうだ。関西人は「黄色なんて臭そうや」ゆうかも知れへんけど…。
 摘んだタンポポの花はヘタの部分に小麦粉をつけて、花を上にしてオリーブ油でサッと炒めた。果たしてこれで喰えるだろうかと、最初の一つを摘まんで食べたら、意外や意外でこいつが美味い。苦いあたりが大人の味だ。あまりの美味さにビールを取り出す。ゴクリとやってパクリと喰う。パクリとやってゴクリと飲む。結果、炒め終わりが食べ終わり。とうとうタンポポは、食卓に運ばれることなく喰い尽くされた。庭のタンポポども、「えらいことになったなあ!」と大騒ぎしていることだろうなあ。
 平年より十日も早く関東梅雨入り。な〜に、雨中の緑も悪くはない。