唯の大喰いに喝!

 僕はテレビがあまり好きじゃない。生涯一社のテレビ局に勤め、社内結婚で家庭を作り、家計の殆どをテレビ会社の給与で賄い、定年後は大学で「メディア社会学」の教壇にも立ち、現在はテレビの厚生年金で暮らしている。そんな男が「テレビは好きじゃない」とは恩知らずも甚だしい─と我ながら思う。
 でもごめんなさい。ニュースとスポーツ中継以外は、本当に観たくない。なぜならば、番組の質が悪過ぎて観るに堪えられんのですな。 
 例えばゴールデンタイム。どの局も芸人ばかりがバカ騒ぎ。視聴者を放っておいて、バカがバカを「バカ」と呼び合い、バカ一族で盛り上がっている。ゴールデンとは、彼らにとってのことだけみたい。
 最高に不快なのは大喰い番組。自給率40%にも満たない国の人間が、貧しい国の何十人分もの食糧を、一人で無理矢理胃袋に詰め込む醜さ。人には体質・体格に差異があるから、大喰いの人がいることは承知している。理解もしている。しかし、それを笑いのネタに仕立てる非礼を、どうしてテレビの経営レベルは咎めようとしないのか。
 今朝の新聞に「食べ放題二千三百円」という店のオープン・チラシが入っていた。僕はこの「食べ放題」という言葉も好きじゃない。「食べなきゃ損」みたいな意識を誘発することで、食べものが粗末に扱われる気がしてならないのだ。
 数日前、妻と出掛けた那須のホテルのバイキング・ランチで、まさにそんな光景を目にした。「食べ放題」を謳わなくても、バイキングの多くは実質的に食べ放題。あまり気乗りしなかったが、ベースが好物のイタリアンだったため、ついつい入ってしまったのだが…。
好みの料理をテーブルに運び、ワインをとくとく注いでいたら、隣の席に、二十代と思える二人連れの女性客がやって来た。
 早速彼女たちも料理を運び始めた…と、ここまでは宜しい。問題は、そのうちの一人の女性の行動一式。彼女が最初にテーブルに運んだのは、山盛りにした大皿四枚。ミートボール、ハム、ソーセージ、ローストビーフ、トリの唐揚げ、チキンの煮込み等々、すべて肉類。いきなりの大皿四枚にも驚いたが、本当に驚いたのはこの後だ。食べては運び、食べては運び、何度運んだか、何枚重ねたか、めまぐるしくて解らない。しかしバイキングとはそういうシステムなのだから、それを非難するつもりはない。僕が言いたいのは、その食べ方である。肉だんごを取って来ては半分残し、ピザを取って来ては半分残し、グラタンも、ローストビーフも、パスタも、フライも、自ら運び込む大皿山盛りの料理群を、どれも半分とか三分の一とか残したまま、その大皿を重ねてゆくのだ。自分で取っておきながら…ああ、おぞましい。一粒のごはんも残すなと僕は親から教わったし、それを子にも教えて来た。マナーというより倫理である。この女性、食べることに感謝の気持ちを持ったことがあるのだろうか? 食べる喜びを、心底感じ取ったことがあるのだろうか?
 こんな惨状を前にしては、ああ飲めない。ああ食べられない。僕たち夫婦は、恐らく彼女が残した量の十分の一にも満たない量で、その日のランチを切り上げた。
 繰り返すが、食べる量を僕はとやかく言うつもりはない。食べ方である。
 この点、僕の先輩は偉かった。強靭な胃の持ち主だったが、いつでも食べる喜びを持ち、その食べ方も謙虚だった。先輩は昼になると同僚とランチに出掛けた。南門から出てA商店街へ。どこの店でも注文は大盛りだが、食べるのは一人前。そこから帰ると、今度は別の同僚と北門から出てB商店街へ。こっちでも大盛りの一人前。「カツ丼二人前とか注文したら、回りのお客さんの食欲を狂わせるかも知れませんからね」というのが、〝二度ランチ〟にしている理由だった。
 僕がこの先輩の凄さを初めて知ったのは、通勤途中で出会った秋葉原駅でのことだった。
「やあ、かねこさん、おはようございます。ちょっと牛乳飲んで行きません?」
「そうしますか」と僕が応じると、先輩は牛乳スタンドのおばちゃんに「二人ね」と、妙な注文の仕方をした。すると、「はいよ」と答えたおばちゃんも妙である。スタンドの上に牛乳瓶を並べ始めたと思ったら、次の瞬間、小さなキリのようなものの尻をトンとスタンドに打ちつけてから、ポンポンポンポ〜ン!と一気に十一本の牛乳瓶の蓋を開けたのだ。手さばきたるや荒野のガンマンさながらだ。驚きの頂点はこの後である。先輩はそのうちの一本を僕に渡すと、「ゴホン」と咳払い。そこから息をもつかせぬ早撃ちマックの牛乳版。十本すべてを瞬く間に飲み干したのだ。「さあ、行きま…あら? まだでした?」と先輩は、僕の手にある牛乳を不思議そうに眺めたっけ。
 あるとき新聞を開いたら、饅頭七十個を食べて死んだ男の記事が出ていた。僕はその記事を先輩に見せながら、「先輩も注意した方がいいですよ」と言った。すると先輩は、「いけませんよね、死ぬほど食べるなんて。わたしも先日饅頭を食べましたけど、腹八分目にしておきましたよ」と言った。「先輩の腹八分目って?」と問うと、「九十七個です。あと三つで区切りがついたんですけど、自重しました」だと。
 またあるとき、こんなことを言った。「かねこさんだから言いますけど、うちは夫婦二人ですけど、一食にごはんを五合炊くんです。家内は、それをチャワンで食べろと言いましてね。まどろっこしいですよね。釜から直に食べられたら、どんなにいいかと思うんですよね」と。はにかむ笑顔が可愛かった。
 先日の天声人語によれば、主要コンビニ10社で捨てられる弁当の量は、年間4億3千万食だとか。食べられるのに捨てられている食品の国内での総量となると、その30〜50倍はあるという。胃袋の大きな人がたくさん食べるのは仕方がないが、丁寧に、粗末なく、感謝の気持ちを持って食べて欲しい。子どもたちにも、率先見せて伝えて欲しい。