オナラ一日二百億発

 新聞のスクラップを開いたら、牛のゲップの話が出て来た。牛なら、わが家の周りに幾らでも居る。夜になると牛舎を抜け出て散歩する牛まで居る。那須のわが家から三百メートル程の夜道で、散歩中の黒牛にぶち当たり、車を一台パーにした人も居た。外灯の無い新月の黒牛となると、飛んで来るノドンを避けるより難しいだろうと同情した。いや、そんな話ではなく、牛のゲップの話をするんだった。
 記事によると、国内の牛の数は肉用・乳用合わせて四百四十万頭。この牛たちからゲップとして出るメタンの量は、年に32万3千トン。これを二酸化炭素に換算すると678万3千トン。その数字、国内の温室効果ガスの年間排出量(二酸化炭素換算)の約0.5%にあたるという。
 メタンは地球温暖化をもたらす温室効果が高いので、その分のゲップを抑えるだけで、かなりの温暖化防止効果が得られる。そこに目を点けた企業と大学が共同研究を重ねた結果、牛のゲップの九割を抑制する天然素材を発見した─という記事だ。
 読み終わった僕は、デスク脇の手紙挿しから一通の封書を抜き取った。某食品会社の経営者から送られて来た賀状である。食品を扱う会社の経営者がゲップや屁の話なんぞ、元旦の賀状にわざわざ書くなど、どういう了見かと不可解に思って取っておいたものだ。それも印刷ではなく、僕を対象にして書いたと思える手書き直筆ですぜえ。
 それには、こうあった。
「あけましておめでとうございます。さて、いま地球温暖化の原因に二酸化炭素が上げられている。二酸化炭素は、屁の組成の一部である。成人のおならの量は一日一〜二立方センチメートル。多い時は三立方センチメートル。だから大変。人間が一日三発放屁すると、地球一日の放屁量は二百億発にも及ぶ。それに馬や豚やスカンク諸々の動物が加わる。ああ、地球の温暖化は避けられない。ニュージーランドのメタンガスの七割は反すう動物から出される。そのうちの半分を占めるのは、五千万頭もいる羊たちが出すゲップ。五千万頭とは、同国の人口の二十倍近い数字ですぞ。その結果ニュージーランドにおけるメタンガスの排出量は、OECD平均値の約八倍になってしまっているのです。あな恐ろしや。本年も宜しくお願いします」(原文のまま)
最後は愛想もなしにブチッと切れたこの手紙。だからどうだとも書いてない。詮索するのも面倒だから笑って済ませていたが、屁やゲップは侮りがたい難儀なものだと今解った。食品を扱う経営者として、大いなる憂いを感じた上での賀状だったのだろう。山中無人をいいことに、高らかに吹き鳴らしていたオナラ。「すっきりした」と喜んでいてはいけなかったのだ。
 妻は僕の放屁を耳にすると「男の人は自由でいいわねえ」と言う。「そりゃ、まあどうも…」と応えるしかない。新婚時の僕は、妻はオナラをしない体質かと思っていた。ついぞ、忍んだ音さえ耳にしたことが無かったからだ。現実は違っていた。出もの腫れもの所構わず。妻とてそれをやらないのではなく、「絶対に覗いてはいけません」と言った『鶴の恩返し』の鶴のように、屁の実態をひた隠しに隠していただけなのだ。
 妻から「自由でいい」と言われた僕だって、見境もなく放っているわけではない。妻がそれを耳にするのはドア越しだけ。同室内では絶対にやらない。出たくなったら隣室に行く。 
 散歩中の放屁は多い。一歩に一発。ブッ、ブッ、ブッ…と、歩行に合わせて十発ぐらい続くこともある。
 以前、放屁のあとで振り返ったら、若い女性が真後ろに居て赤面したことがある。以来放屁の際は安全確認をしているが、先日、想定外のことがあった。安全確認後プッとやったら、垣根の向こうのおばさんがヌ〜ッと立ち上がり、軽蔑の眼でこちらを見たのだ。そんにところにうずくまるには、まあそれだけの理由はあったのだろうけど、いきなり立ち上がって蔑視なんかして欲しい。
 とにかく屁もゲップも、出るに任せていいものではないと今朝悟った。
 イケないものを食べて腹を壊して、出さなくてもいいものを出す。それって原発と同じ。核不拡散条約に署名しない「世界唯一の被爆国」というのも、似たような意味で危うい。気をつけて下さいよ。