骨身に沁みる骨

 思えばひと月前、南ケ丘牧場脇の交差点で思い切り転んだ。何かにつまずいたとか、牛のフンをフンで滑ったとか、窪みのモグラに足を取られたとか、そうした、何らの自覚もないままの転倒である。傘も帽子も、ポケットの中のケイタイも、保持者の許可なく思い思いの方角に飛び散った。僕自身も気がつけば、ナメクジの如く地べたと渾然一体の状況にあったではないか。
 道を挟んだ対角から若い女性が見ていて、眼が合った。ああ、みっともない。僕はノタノタ起き上がると、散在物を拾い集めた。随所に痛みを感じたのは、そのあとだった。
左の掌と右手の甲に血が滲んでいる。腰に手をやると、痛む部分に当たるズボンが破れている。左手のひ
じも擦り剝けている。アバラも痛い。一番痛いのは左肩。一体どんな格好で地面に落下したのか? 痛む部分を繋ぎ合せてみると、これはもう、わが高校の後輩・内村航平君を以ってしても再現不能と思える体勢。僕は瞬時の中において、想像上の物体的姿勢を無意識の中で確立したのかも知れない。
 そしてひと月が過ぎた。
 怪我ならいづれ快復するものなのに、いつまでたっても痛みが引かない。ますます酷くなるばかり。堪らず上尾に戻り、整形外科医に泣き込んだ。
 まずはお定まりのレントゲン。医師はそれを見るなり「こりゃひどい!」と叫んだ。
「ほら、これ! 何でこんなところに、こんな骨があるんでしょう?」
 肩の一部に、あるはずのない骨があったのだ。だからって、「何でこんな骨があるのか」と問われても、神様じゃあるまいし、自分の体を造形した覚えなどございませんよ。
「痛みは、この骨が何らかの衝撃を受けて炎症を起こしているからです。衝撃の原因に、何か思い当たることはありませんか?」
「ありますとも」と僕は、怨念の想いを眼に表して言った。
「憎っくき敵は、那須の南ケ丘牧場の脇の交差点の路面です」
「はは〜ん。道と喧嘩したんですね」
 医師は、カルテに書かれた年齢に眼をやってから、勝手に「うん、うん」と頷いた。
「炎症が治れば現在の痛みは引きますが、この骨がある限り、自由な肩を取り戻すといった根本的な解決にはならないでしょう。以前から左肩は不便ではありませんでした?」
「不便でした。電車の吊り革に三分と摑まってはいられません。肩が胡坐をかくはずもないのに、ビリビリ痺れてきちゃうんです」
「でしょうねえ。それにしても、妙なところに骨が生まれたもんですねえ。これ、どうしましょう?」
「どうして戴けるんでしょう?」
「余分なものは取り除くのが一番でしょう。ここでは削れませんから、大学病院に紹介状を書きますよ」
「ちょっと待って下さい。骨、削るんですか?」
「そうです」
「それはダメです。僕は鰹節ではありませんから」
「だったら次の手です」
「どんな手です?」
「ビリビリの痺れと仲良く暮らす手です」
「仕方ありません。もう両親共いないので、製作者の許可が得られませんから」
「あっそうですか」
 医師は、(勝手にしやがれ)みたいな顔で、とてつもなく痛い注射を肩にゴリゴリぶち込んでから、「では、お大事に」と僕を送り出した。
 おお、痛いよ〜う! 痛いよ〜う! エーン、エーン。
 あんな手荒なことをしておいて「お大事に」はないもんだ。僕は泣きながら家路についた。