便意三大恥話

 自宅から東に向かうと森を抜けて公道に出る。反対側の西に向かうと別荘地。大小の別荘が林間の中に点在する。僕は僕自身に一日一万歩を義務付けているが、散歩のほとんどが西へのコースだ。山坂ばかりだが、森羅の息吹が感じられて心地よい。思いがけず昼間のフクロウに出会ったり、サワフタギの神秘めいたブルーの実を発見したときなど、言葉で表現できないほどの幸せ感に包まれる。
 そんな幸せ感を一瞬で吹き飛ばす難事に遭遇することもある。便意。むろん大きい方。
 この日も予告なしに襲って来た。すり足、早足、よたり足。脂汗を流しながら、やっとの思いで自宅に辿り着いて事なきを得たが、まさに冷汗三斗であった。
 昔の僕は便秘と下痢の繰り返しだった。酒を飲まない日は便秘だし、三日続けて飲むと、四日目の朝は下痢。まことに厄介なお腹だった。そのことを友人たちに零すと、大抵「三日も続けて飲まなけりゃいいことだろう」と呆れ顔でたしなめる。それはそうさ。判っているさ。でもね、それができたら、こんな日記は生まれやしない。
 特別困るのは出張時の下痢。どこもカギが掛かっていて、日本のように自由に使えるトイレが少ない外国の場合は無茶苦茶困る。てなわけで、掻き捨てて来た旅の恥を三本まとめて大公開。

 まずはタヒチ洋品店。急激な便意にトイレを借り、慌ただしくズボンを下ろし便座に座ろうとしたその瞬間、風の仕業か悪魔のいたずらか、便座がガラガラ崩れ落ちた。間一髪でお尻を便器の中に落とすのは免れたが、陶器のカケラは便器の中に散乱した。
(えっ! うそっ! まだ便器に触ってもいないのに!)
 あまりの衝撃に、さしもの便意も引っ込んだ。優先すべきは便器の修復。僕は汚れを恐れることもせず、水中のカケラを一つ一つ素手で拾った。
 拾ったカケラは横にしたり斜めにしたり、形に合わせて積み上げてゆく。 前日僕は、タヒチ総督府に招かれて『タヒチ名誉市民の盾』なるものを、総督の手から授与されていた。名誉なことをしたわけではない。タヒチをテーマにした番組を、こっちの都合で勝手に一本作っただけ。それがタヒチに貢献したということらしい。ともあれ名誉の盾を授与された身。その男がタヒチの便座を壊したとあっては、授与した総督の面子がつぶれる。高々体内を潜り抜けて来たバイ菌如き、構ってなんかいられない。積み上げ作業を必死にこなした。
 どうにか原型を復元させた僕は、トイレを出るなりスタッフたちを呼び寄せた。
「行くぞ」
「いま、おみやげのTシャツを買うところなんだけど…」
「いいの。そんなの後でも買えるだろう。ほら、早く車に乗れよ」
 いぶかるスタッフたちの尻を叩いて、スタコラサッサの逃避行となった次第。

 ストックホルムの街中で急に便意を覚えたときは、堪らず車の陰に隠れてしゃがんだ。福岡国際マラソンでフランク・ショーターだったと思うが、沿道で応援するファンの小旗を奪い、コースを逸れて消えたことがある。「あれどこへ?」と思う間もなく戻って来たが、あれは世紀の早グソだった。僕の場合も同じこと。異国で世紀の早グソ敢行。 
 ところが、〝月に叢雲花に風〟というか〝とんだ所に北村大膳〟というか、ひょっこりポリスが顔を出した。
「はちゃーっ!」
 ベルトを締める余裕はない。ズボンを両手でひっ掴み、僕は命からがら逃げ出した。
 それにしても何たる巡り合わせだろう。国連はその年、史上初の「世界環境会議」を開催したのだが、その開催地がストックホルムで、しかも、その日が同会議の初日だったのだ。

 ロサンゼルスで急な便意に襲われたのは、路線バスの中だった。このときはバカンス。先輩のニューヨーク支局長夫妻と僕たち夫婦の四人旅。ディズニーランドへ向かう途中だった。顔面蒼白となった僕を心配した支局長が、緊急停車を運転手に依頼してくれた。
 僕を振り返った運転手が、親指を立てて頷いた。了解の合図だ。すぐに停まるものと思ったら、あららら…その逆。スピードを上げ、しかも路線を逸れてしまった。あれよあれよのまっしぐら。乗客たちがざわつく中、バスが停止したのは、ある一軒家の前だった。
 運転手は「バスストップ!」と乗客に向かい一声上げた。そして「カモン」と僕を呼び、パスをさっさと降りてしまった。
 運転手がカギを取り出し、一軒家のドアを開けた。
 そこは何と彼の自宅だった。路線バスがコースを外して客を自宅のトイレに案内する。こんなことってあるの? 座席一杯の客たちも、僕を静かに待ってくれた。日本では考えられないことだったし、アメリカでだって稀だろう。それが正しいかどうかは別として、僕は異国で篤い人情に触れたのである。「ウンの尽き」ではない。僕には「ウンがついている」。