呼び名の話

 庭から望む三月の那須連山は白い。
 那須に通い始めた二年ほど、僕はこの山々を「あの山」とか「その山の後ろの山」などと呼んでいた。庭から四つも見えるのに、知っていたのは主峰の茶臼岳だけだったのだ。
 ある時、別荘管理事務所の鈴木さんに「あれ、何て言う山?」と訊いたら、「あははは…判んねえっすよ」という答えが返った。栃木弁丸出しの地元育ちが「判んねえ」とは妙だったが、「あはははは…」と笑ったことはもっと妙。どういう意味があったのかなあ?(後日知ってみれば、鈴木さんは矢板の人。まったくの地元民とは言えなかった)。
 その後も「あの山」呼ばわりしていたら、庭先を通りかかった老夫婦が「お宅はいいですねえ、身近に山が見えて」と語りかけてくれた。「でも、その名前が判んないんです」と情けなく答えたら、「あらまあ」とばかりに教えてくれた。
「ほら、あの一番左に見える山が白笹山。その手前が黒尾谷岳。その後ろは南月山。そのまた後ろが茶臼岳。白笹山を除く三つは那須五峰に数えられていましてね、残る二つは朝日岳と鬼面山です」
 折角名前を聞き出せたのに「暇世代」の常なのだろう。その後が糸紡ぎみを始めたみたいになってしまい、どうにも話は止まらない。話半分に聞きながら、心で「白黒南、白黒南…」と、三山の頭文字を呪文のように唱え続けた。しかしまあ、茶臼岳だけでも知っていてよかった。四つだったら覚え切れなかったなあ。
 名前のある山を単に「山」と呼ぶのは、わが家の迷犬フレンディーを単に「犬」と呼ぶに等しい。「おい、犬!」と呼ばれたら、いくらアホなあいつだって面白かろうはずがない。山だって同じだ。
 いやじつは、同様のことで何十年も困っていることがある。妻を呼ぼうにも、妻に呼び名がないのである。妻もまた、亭主の僕を呼ぼうにも、僕に呼び名がないのである。
 かつて僕は、妻を「チー坊」と呼んでいた。妻は僕を、「かねこ」の「か」を取った「ねこちゃん」と呼んでいた。どちらも会社における愛称である。社内結婚の僕たちは、独身時からそう呼び合っていたのだから、結婚後もそう呼び合うことに何の抵抗も感じない。むしろ自然の成り行きだった。
 ところが、来客時などに窮することが起こり始めた。妻は、自分だって「ねこちゃん」になったのだから、客前で僕を「ねこちゃん」とは呼びづらい。僕もまた、母ともなった妻を「坊」呼ばわりすることに、いささかの抵抗を感じ始めた。
 そんな矢先、長女の七五三の写真を撮りに義母と出掛けた写真館でのことである。僕がその場で「チー坊」と呼んだものだから、写真館のおっちゃんはすっかり勘違い。その瞬間からおっちゃんは僕を「お父さん」と呼び、妻を「お譲ちゃん」と呼びだした。思い込みとは恐ろしい。挙げ句が、義母を(僕の)「奥さん」と呼んだのだ。義母はびっくらこいたけど、僕はドドドと落ち込んだ。
 結果、わが家から「ねこちゃん」と「チー坊」は消えた。
 いま僕は、妻に話し掛けるとき要件から切り出す。妻は「ねえ」から切り出す。娘たちが居ても「ねえ」と言えば僕のこと。僕以外で反応する者はいない。
 ただし家庭内はそれで済んでも、他人が混じるとそうはいかない。窮余の一策で、妻は僕を「たかしさん」と呼んだりする。そんなときの顔には照れが浮かぶけど、言われた僕だってこそばゆい。
 事ほど左様に当家は呼び名に苦労しているが、そうしたことが娘たちにも伝播したのか、二人の家庭もちょっと変。
 長女は、中学生と小学生の子どもの前でも、未だに亭主を「むとうさん」と呼んでいる。また、僕たちのことは「パパ、ママ」と呼んでいるのに、子どもたちには自分たちを「お父さん、お母さん」と呼ばせている。
 その子どもたち。長男は次男を「はやちゃん」と呼ぶが、次男は長男を「たかなり」と呼びつけにしている。「それでいい」と長男は言い、嫌な顔一つしたことがない。
 一方の次女は、僕たちのことを「お父さん、お母さん」と呼んでいるのに、娘には自分たち両親を「パパ、ママ」と呼ばせている。
 両家の孫たちは僕を「ターちゃん」、妻を「チーちゃん」と呼ぶ。その関係で、孫たちが居るところでは、二家の両親も僕たちを「ターちゃん」「チーちゃん」と呼ぶ。僕の作品『ブロンディ』から取った呼び名だ。
 先日、近くに住む長女の次男と道で出会った時、その場に居合わせた友だちに「この人ターちゃん。ほんとはじいちゃん」と僕を紹介してくれた。