猛女と鬼監督

 ♪踊る阿呆に見る阿呆、どうせアホなら踊らにゃ損損…と、社長も議員も公僕諸君も「安倍音頭」(アベノミクスとも言う)を踊り出し、景気づけの「五輪花火」もぶち上がった。東京ではない那須のテレビも、オリンピック評価委員が来日したとかで、連日「五輪、五輪」とかまびすしい。
「五輪招致」の賛否判定は難しいが、そんなことより僕は「五輪」の声を耳にするたび、かつての猛女を想い出す。
 ざっと四十年程前、僕はオリンピック・スイマーだった木原光知子と、二か月に亘る旅をした。『世界へ飛び出せ!』というドキュメンタリー番組制作のためだ。取材地はパプア・ニューギニア、オーストラリア、タヒチ、トンガの四カ国。
 オーストラリア編とタヒチ編は、「三匹の侍」や「御用金」などで名声を得ていた五社英雄監督が演出し、残るパプア・ニューギニア編とトンガ編を僕が演出した。そのときのレポーターを務めたのが「ミミ」こと、木原光知子である。彼女はまだ二十三歳。粋で陽気でイタズラ好きのお転婆娘だった。
 最初のロケ地、パプア・ニューギニアの高地マウントハーゲンに到着した日、僕はホテルの中庭に大事なバッグを置き忘れた。取材費、スタッフ全員の宿泊滞在費、その他二か月の旅を賄う全財産が入っている。総額にして僕の年収を遥かに超えていた。
 置き忘れに気づいた僕は、「わっ、大変!」と慌てて走った。しかし、天には天の禍あり、人には不時の災難あり。バッグはすでに消えていた。その日スタッフに喰わせるメシ代までも失ったのだ。
「五社監督に殺される!」
 五社さんはこの番組のディレクターであると同時に、総合プロデューサーでもあった。そしてその五社さんの怖さは、僕たち周辺で有名だった。この番組で最初に五社チーム入りしたCディレクターは、タクシーの助手席に居て、後部座席の五社さんから走行中、いきなり蹴りを入れられた。二番目にチーム入りしたTディレクターは自室で就寝中、飛び込んで来た五社さんに蹴り起こされた。三番目のHディレクターは、見るも無残にやせ細って帰って来た。
 当時の報道局長が僕を呼んで言った。
「もう、五社と組ませられるのはおまえしかいない。おまえ、南太平洋に行ってくれ」
 僕はアンクル・トムの心境で五社チーム入りした。それが全財産の置き忘れ。「五社監督に殺される!」は、決してオーバーな表現ではなかった。
 うろたえる僕。そんな場に通り合わせたのがミミだった。
「あら、かねこさん、どうかしたんですか?」
「いや、どうもしない」
「どうもしない顔じゃないですよ」
 ふと見ると、ミミの口元がほころんでいる。違和感のあるほほ笑み。その違和感が、やがて天使のほほ笑みに変わってゆく。僕は心の中で(ヤッター!)と叫んだ。
 案の定、バッグは彼女の部屋に保護されていた。 
 
 数日後、僕たちは裸族の村に入った。酋長は快く僕たちの取材を受け入れてくれた。
 その酋長がある日僕のところにやって来て「あの娘を嫁にくれ」と言った。すでに四人の妻を持つ酋長が、五人目としてミミを欲しがったのだ。
 ここでの結婚は、新郎が新婦にブタを贈ることで成立する。一頭の場合も二頭の場合もあるが、その数がステータス。酋長は「ブタ五頭出す」と誇らしげに言った。だがそんなこと、本人に訊くまでもない。即座に僕は「だめだ」と答えた。
 ところが酋長は諦めない。直接ミミのところに行った。
「ブタ五頭やるから、俺の嫁になれ」
 鼻に、犬だかブタだかの骨を刺した裸族のおっさんからの求婚。恐怖のあまり、泣き叫ぶか失神するかと思ったら、彼女は酋長に敢然と言った。
「ブタ百頭でなくてはいやだ」
 村中のブタを集めたって百頭もいない。酋長が諦めてくれたから助かったが、あんな奥地で逆上されたら、こんな文章を書く僕が、ここに居たかどうかも判らない。

 オーストラリア大陸中央部にそびえる巨岩エアーズロック。その頂点に立ってミミが言った。
「かねこさん、どっちが遠くまで飛ぶか、飛ばしっこしません?」
「何を?」
「オシッコを」
 僕は断った。猛女の前に粗チンを晒すのはまっぴらだった。

 トンガでミミはデング熱に罹った。かつてこの病気で何万の日本兵が落命している。僕は小型機をチャーターして、彼女をシドニーの病院に運ぼうとした。ところが駐在していたアメリカ軍の軍医が、「患者の体がもたない」と輸送に反対した。仕方なく、東京女子医大の医師の助言を電話で受けつつ、ホテルでの介抱にあたったが、最悪の場合も覚悟していた。
 そのミミが、突然「カレーが食べたい」と言った。「最後に一口なりとも…」なんてこともあるから僕は肝を冷やした。ところが、それは復活への狼煙だった。猛女は強靭にも甦ったのだ。

 五輪の声を聞くとミミを想い出す。ミミを想うと五社さんを想い出す。二人はすでにこの世に亡い。
 五社さんは僕に、誰もが驚くほど優しく接してくれた。僕の作品を自らの手で編集もしてくれた。その事実は、その場に居合わせた者以外、誰一人信じようとしない。でもね、「あり得ない」と言う前に、その方々は「理由もなく怒る人は居ない」という人間学をまず学ぶべきだね。
 お二人に僕は、具体的な形では表現できない曰く言い難い〝豊かなモノ〟を戴いた。ご冥福をお祈りする。