秘密基地慕情

 庭の樹間に、数人が寛げるスペースを作った。と言ったって、なに、テーブル代わりとなる平たい大きめの石を中心に置き、廻りに腰かけ代わりとなる敷石を数枚配しただけ。
「これ、なあに?」と訊く妻に、「デッキは直射日光で暑いから、真夏の避難所」とだけ答えたが、じつは僕の秘密基地。冷たいビールを持ち込んで密かに楽しむ魂胆なのだ。
 僕はむかし「秘密基地」が好きだった。
 少年期、わが家のすぐ前は父が勤める建具屋の材木置き場になっていた。長さ五メートルほどの建具材が、左右から合掌造りのように立て懸けてあった。合掌造りの真下は、畳にして三畳ほどの空間スペース。僕とポン太は、そこを二人だけの秘密基地とした。誰に断わるでもない不法占拠だ。
「ポン太」とは犬じゃない。タヌキでもない。同学年の隣家の友だち。チビで色黒丸顔だったことから、誰呼ぶともなくその名になった。僕たちは何をするのも一緒だった。遊び道具も小遣いも共有。どちらのカネで買ったものでも、すべて半々に分け合うことを常としていた。真の平等というものを、レーニンマルクスに教えてやりたいほどである。
 僕たちは常に飢えていた。柿やイチジクは盗んで食べた。あまりに腹が空いたときは、畑からナスやトマトもかっぱらって、そいつを秘密基地でむさぼった。
 正しい労働で得た御馳走も、秘密基地に持ち込んで食べた。「正しい労働」とはクズ拾い。クズの多くはクズ鉄だが、鉄は重い上に一貫目十円そこそこにしか成らず効率が悪かった。真鍮だとその倍の値がついた。
 最高はアカ(銅)。銅線なら百グラムもあれば三十円ほどになった。アカを求めて空爆の工場跡地を、よくほじくり回したものだ。簡単には見つからない。家々から伸びていたラジオのアース線を横目で睨み、「あいつを幾つか丸めれば、カツ丼が喰えるんだよなあ」と二人で羨んだことはしばしばだ。
 クズ拾いの稼ぎは、すべてコロッケに注ぎ込んだ。一個五円。肉屋のおっちゃんは僕たちに親切だった。ショーケースに揚げ上りがあっても、僕たちだけには「ちょっと待ってなよ」と言って、熱々の揚げたてを用意してくれた。
 おっちゃんは、僕たちのおカネの秘密も知っていた。「六個ちょうだい」と注文すると、「おっ、アカ見つけたな」と笑った。一個だけの注文には、「無いよりましだよね」と慰めるように言い、熱々の一個を包丁で半々にしてくれた。たった半々でも、それを基地に持ち帰って食べる嬉しさといったらなかった。
 熱々のコロッケを頬張りながら、小学時代の僕たちは、あれこれ心の内をさらし合った。
 小学卒業とともにクズ拾いも卒業したが、秘密基地は温存させた。女性というものを熱く語り合ったのも、好きな女生徒の具体名を教え合ったのも、十五歳でタバコを吸ったのも、十六歳でウィスキーを飲んだのも、始まりはすべて秘密基地だった。
 将来の進路についても語り合った。ポン太は化学者になると言った。言葉通り彼は大手化粧品メーカー(カネボウ)に就職し、入社二年にして「これ、俺の処女作だよ」と、自らが開発した新商品を見せに来た。
 僕は当時放送部に所属していたので、「そっちの方向に進むかも…」と言い、どうにかテレビ局に就職した。
 とにかく二人は、ウマ年ゆえかウマが合った。今でも、何年かに一度の割りで会って飲む。飲みだすと店内の造形すべてが眼中から消え、あたかもそこが秘密基地。話も当時の事ばかり。気が付けば「あらら、また日付が代わっちゃったよ」の繰り返し。
 月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり…。然りながら、ジジイになった今も、僕は童心捨てがたい。成ろうことならこの那須に、本格的な秘密基地を築きたいと思っている。そこで何をしたいと思っているのか…それは秘密。