そして、みんな怒った

 妻は毎日一キロの坂道を徒歩で登り、ゴミの集積所まで家庭ゴミを捨てに行く。真夏でも車を使わないのは健康のためだ。
 きょうも「ゴミを捨てに行って来るわよ」と妻が言ったので、「だったら、こいつも頼むよ」と、僕はズボンを脱ぎにかかった。じつはこの僕、モノがなかなか捨てられないタイプである。妻はそれを常々歯痒く思っていたので、いまこうしてのズボンの処分は彼女をして大歓迎だ。僕は脱いだズボンをくるりと丸めて妻に渡し、妻はそれをゴミ袋に押し込んだ。
 妻が出掛けて20分も経った頃、僕はポケットに手を突っ込んだ。あまりに暑いので、清涼飲料水でも買いに行こうと思ったのだ。
(うん? 無い。財布が無い)
 はて、どこに置いたのだろうと机の上、サイドテーブル、引き出しの中、別のズボンのボケットの中…といろいろ調べたあと、さっきまで穿いていたズボンの存在にやっと気付いた。財布には現金のほか、運転免許証、健康保険証、銀行カード、クレジットカードなどが入っている。
「ヤバッ」
 僕は慌てて妻の携帯に電話を入れた。
「えっ! やだ、もう置いて来ちゃったわよ。すぐに戻らなきゃ」
 これで一件落着かと思っていたら、待てど暮らせど妻が帰って来ない。少しばかり不安に思って車を集積所に走らせてみたら、現場は大変な状況から、ようやく収束を迎えたところだった。
 真夏というのに僕を見止めた凍てつく目。別荘管理事務所の所長以下全職員、ゴミ運搬車の町方職員、そして妻。どの目も、北極極限の氷男のようであった。
「もう、大変なんてもんじゃなかったわよ」と妻。聴かずもがなだが聴くしかない。
 途中まで戻りかけていた妻は、僕の電話で慌ててゴミ集積所に引き返した。ところが、何というタイミングのいたずらだろう。その日はゴミの搬出日。ゴミ運搬車がやって来て、大量のゴミを運搬車に放り込んでいる最中だった。
 ここからが地獄。ただちに投げ入れ作業がストップし、全職員駆り出されてのズボン探しに切り替わった。ゴミが一旦集積所から運び出されていたから、ゴミ袋を妻がどのあたりに置いたかは、意味を成さなくなっていた。方法は一つ。片っ端から結び目を解いて手を突っ込み「ズボン、ズボン」と触診するしかない。手はベトベト。臭いはプンプン。そんな辛い思いをしながら尚辛いのは、成果が約束されていないこと。すでにズボンが運搬車のローラーに巻き込まれた後だったら、すべての作業が無に帰するのだ。
 何日も眠っていた真夏のゴミ。鼻が曲がる臭気の中、解いては結び、解いては結び。(迂闊男の財布探しをなぜ俺たちが! バッキャーロー!)と思ってもらって御尤も。
 聴き終わった僕は、ただちに車を走らせた。たらし込んだら、口が利けなくなるほど冷たいビールをどっさり求めに。