飛行機こわい恐い怖い

 どこからやって来るのだろう。時折轟音のジェット機が飛来して白線一本、那須の大空を真っ二つに割る。米軍機か自衛隊機かは判らねど、B29の爆撃を逃れての疎開経験を持つ僕は、軍機の爆音に恐れおののく。
 いや、軍機に限らず、飛行機そのものを僕は好まない。乗るのが怖い。(あれは空を飛ぶものではない。何かの拍子に浮きあがっただけのもの。落ちて当たり前。石鹸会社は“よく落ちる”という意味で、商品キャラに「飛行機くん」なんぞを採用したらいい)…とさえ思っている。
 そこまで「アンチ飛行機」で凝り固まったのは、搭乗機が幾多の危機に直面したからに他ならない。
 青森空港の上空を旋回し、なかなか着陸しないことがあった。眼下に救急車や消防車が見える。「空港で何かの不具合があったらしい」と思っていた。
 待つこと数10分。ようやく待機を解かれた機が滑走路に滑り込んだ。
 扉が開き、タラップを降りた僕の前に、突き出されたのはデンスケ(旧式録音機)マイク。報道腕章の男が言った。「上空で、どんなお気持ちでしたか?」
(何それ?)って感じ。質問の意味が判らない。「どういうことですか?」と尋ねたら、その記者、「あらら、飛行機の車輪が出なくて旋回を続けていたこと、ご存知なかったんですか?」だと。ドテッ。
 これが、空を飛ぶはずもない鉄くずに乗った僕が、九死に一生を得た第一弾であった。
 第二弾はマドリード空港。搭乗したロイヤルヨルダン機が離陸に向けてエンジンを噴射させた瞬間、翼から炎が立ち昇った。火柱は数メートルに。翼の付け根近くの窓側座席にいた僕は、「わっ、わっ、わーっ!」と震撼の叫び。輪を掛けて信じられないのは、その後である。僕たち乗客を乗せたままで修理を始めたのだ。それも、ハンマーを持った男どもが翼の上でトンテンカン。やつらって、整備士? デストロイヤー?
 小一時間ののち、修理を終えた(と当局が言ったところの)飛行機は、あの火柱も何のその、事も無げに飛び立った。(えっ、マジ? このまま行っちゃうの?)…白人・黒人・黄色人種の乗客たちは、色こそ違え同じ恐怖を共有し、唖然、憮然、放心の体。機が向かうのはギリシャアテネ。機内は異様に静かだった。口を利く勇気など持てるはずもないのである。
 目的のアテネ空港が窓越しに見えた。機内に安堵の空気が漂い始めた。ところが─。
 安堵は早すぎた。滑走路に滑り込んだものの、エンジンの逆噴射が感じられない。あれよあれよのうちに滑走路を突きぬけてしまい、草むらへと突っ込んで行く。「わっ、わっ、わーっ!」の叫びの中、機は、海に飛び込む手前で辛くも止まった。
 ローマ空港が霧に覆われ、有視界が閉ざされたこともある。パイロットは海に出て燃料を捨て、決死の着陸を試みたものの二度失敗。そのたびに地面すれすれから急浮上した。三度目も失敗すると燃料切れでの墜落の恐れ。パイロットに選択の道はもうない。最後の挑戦を敢行したのである。
 ガーン! それは身も砕けたかの衝撃だった。薄目を開けると、わが機が滑走路上を走っている。助かったのだ。僕たち乗客は、全員が機長を讃えて拍手した。
 パプアニューギニアの奥地を飛んでいたとき、突然機体の鉄板が剥がれてパタパタやりだしたことがあった。二十人乗りの小型機で、鉄板が風を受けてチョウチョみたい。こりゃダメかと本気で思った。だがしかし、機長だけは泰然自若。その沈着ぶりの有難いこと。僕は身も心も救われた。
 パリから羽田に向かった機中で、僕の一つ前の席にいたフランス人が急死した。羽田に着いた飛行機は、乗客を乗せたままで機内消毒がされた。急死したフランス人のせいだと乗客の誰もが思っていた。もちろん僕もそう思った。
 ところが、客が全員降りたのに、僕と同僚カメラマンの二人だけは留め置かれた。訳を訊いたら「あの消毒は、あなたたちのせいだ」と言うのである。「えっ?!」とハトに豆鉄砲。
 僕たちは搭乗日前日のナポリで、露店のナマ貝をむさぼり喰った。どうやらそれが原因らしい。離陸後の僕たちは、競うようにトイレを往復していたのだ。乗務員から機長へ。機長から管制官へ。管制官から検疫官へ。検疫官は「コレラの疑いあり」と推定した。  何とか隔離は免れたが、一週間の行動日誌が義務付けられた。いちいちメモるのは面倒だから、その日から一週間、三度のメシは会社の食堂。夜は、同じ道を通り同じバーに通い詰めた。
 沖縄からの帰路、乱気流に巻き込まれた機がスト〜ンと落ちた。ベルトをしていなかった僕の頭が、ゴチンと天井にぶつかった。坐したまま、麻原彰晃よりも高く跳んだのである。飛行を夢見ていたダ・ビンチが生きていたら、きっと悔しがったことだろう。
 僕がタヒチパペーテ空港を飛び立った翌日、同じ便が離陸に失敗して海に落ちた。乗客乗員全員死亡。
 僕がアテネ空港を飛び立った数時間後、空港内でテロリストと警官隊の銃撃戦が勃発し、たくさんの犠牲者が出た。
 僕が飛ぶと、どこかの飛行機で何かが起こる。磐梯号が雫石に落ちたときも、日航機が赤軍にハイジャックされたときも、僕は別の空を飛んでいた。それを知っているものだから、僕が飛行機に乗ると判ったときの同僚たちは、同じ日に飛行機に乗る仕事を嫌がった。他人が落ちても僕は落ちない。僕に代わって誰かが落ちる。ダメだよ、人間が空を飛ぶなんて。クジラは空を飛ばないし、スズメは海に潜らない。
 見上げる那須の大空を、ああ、きょうも禁断の鉄くずが、摂理の壁を越えて行く。