日常的ヘラヘラ術

 平和郷での散歩では、行き交う人とも、垣根越しのおばさんとも、工事現場のおじさんとも、知人で有る無しに関わらず、目が合えば誰とでも挨拶を交わす。郵便局の赤いバイクとも、宅配の運転手さんとも、すれ違う際には、互いに軽い会釈を交わす。これ、自然の成り行き。たぶん、マイナスイオンが人の心を大らかにしてくれているからだろう。
 とても好いことで清々しいのだが、一つ困ることがある。僕という男、ひと様の顔が憶えられないのだ。二度も三度も会っていながら初対面のような言葉を掛けてしまったり、初対面なのに旧知のような言葉を掛けてしまったり。どちらにせよ相手が戸惑う。その戸惑いを見て、こっちも戸惑う。
 憶えの悪さは、年齢ではなくて生来の欠陥だ。
 新入社員の頃、会社の廊下で出会ったオバサンに、「あらっ、どうしてここに?」と声を掛けたことがある。てっきり近所の知り合いのオバサンと思ったのだ。
(近所のオバサンが何故テレビ局に?)という素朴な疑問から発した言葉だったが、(近所のオバサンがこんなところに居るわけがない)という発想を優先させるべきであった。オバサンは目いっぱいの笑顔を返してくれたが、僕の質問には答えなかった。
 二時間後、テレビを見ていて赤面した。さっきのオバサンが出演していたのだ。
 オバサンの名は笠置シズ子。戦後間もない頃の歌謡界の女王。ブギの女王とも言われた。四十歳からは演技一本に転じ、僕が声を掛けた当時はテレビ界の超売れっ子オバサン。むろん、そうした経歴も実績も顔も声も僕は知っていた。それでいながら、この始末である。
 同じ頃、梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』が爆発的なヒットを見せていた。興味を持った僕は、自分の担当する報道番組に彼女を引っ張り出そうと考えた。だが、悲しいかな“報道バカ”。芸能人の出演交渉の仕方を知らない。知らなきゃ自分流にやるしかない。その日は火曜日。『ザ・ヒットパレード』の放送日だ。タイムテーブルを見ると、出演予定者の中に梓みちよも入っていた。時計を覗くと午後の五時。
(今ならリハーサルの途中で会えるかも。直接会って口説いてやろう!)
 即決即断。僕はスタジオに向かって走り出した。
 スタジオの重い扉を開けると、中は丁度カメリハが終わったところでムンムンしていた。出演者も、まだ全員揃っている。
 僕は一人の女性に声を掛けた。
「あなた、梓さん?」
「違います」とその女性、いくらか不機嫌そうに答えた。彼女が中尾ミエだとはあとで知った。
 別の女性に声を掛けた。するとその女性、「わたし、いしだです」と言った。「こりゃどうも…」と頭をかきかき直視すれば、確かにいしたあゆみであった。
 そのときである。いしだあゆみの脇から憤然とした女性の声。
「梓はわたしです!」
「ああ、あなたが梓さん」
 丸っこい顔した男が振り返って僕を見た。そして言った言葉の恨めしや
「へえーっ、この人、みちよちゃんを知らないよ!」
 その男、谷啓だった。坂本九やザ・ピーナツらが反応し、スタジオ中がドッと沸いた。梓はむくれた。いしだや中尾にしても、僕に知られていない点において同じだから面白くない。出演交渉どころではない。僕は、ほうほうの体で満座の中から逃げ出した。
 ともかくも、僕の顔憶えの悪さは生来であり、今更改善のしようがない。かくなる上は日常的にヘラヘラして、こちらの正体をぼかすしかないのである。「笑う顔に矢立たず」とか「怒れる拳、笑顔に当たらず」というではないか。どう思われようと、「ヘラヘラ術」に降りかかる禍は、それほど大きいとは思えないから…。(敬称略)