魔女の魔法にやられる

 那須の家の完成は2001年6月の予定。その時点での僕は、まだ定年まで1年5か月を残していた。しかしながら気分はすでに定年モード。仕事なんぞクソ喰らえ。わがテレビ局同期の連中にして、それぞれに蠢き始めていたではないか。
技術畑出身の松本君は「ラーメン屋をやる」と言い、先刻、店舗となる土地を押さえていたし、報道・法務畑出身の中野君は「四国巡礼をテクテク八十八箇所成し遂げたのち、ギタリストとして舞台に立ちたい」という大それた願望を温めていた。営業畑出身の暮田君は子会社の社長を引き続きやり、グループの中核たらんと意気込んでいた…らしい。スポーツ一筋の梅田君は、競馬中継を育て上げた男らしく「定年からが本当の馬人生だ」と、馬の如く鼻息を噴射させていたのである。「何もやらん」とサバサバの首を晒していたのは僕だけだった。
 家の引き渡しを3カ月後に控えたある日、僕は妻を誘って那須に向かった。建ち上がった柱一本見てみたい。壁の一枚触ってみたい…と、生まれて来る子をいとおしむのは生きたる者の情である。
 那須街道を登りだしたら春の雪が舞いだした。「現場を見るのは明日にしよう」と、その日は予約済みのペンションへ。
 ところが、このペンションがいけなかった。客は僕たちだけというのに、風呂の時間は「八時ですよ」と制限する。部屋には、お茶どころか水もない。テレビはあったが、いまどき一時間百円の有料テレビとは笑止千万。
 夕食がまたいけない。妻は小食の部類に属するが、その彼女をして「このあたりにコンビニでもないかしら?」と言わしめるほど絶対量が少ないのだ。おまけに、洋食なのにコーヒーが付かない。無いわけではない。「コーヒーあります?」と聞いたら、魔女のような薄目の女が「別料金ですよ」と返して来た。コーヒー党の妻はそれを頼んだ。そして、出て来たコーヒーに唖然とした。小さなカップに三分の一とは、眼中人無しと見るに等しい。アラビアコーヒーでもあるまいに…。
 調理の男(魔女の亭主らしい)は、最前から暖簾越しにチラチラこちらを窺うばかり。出て来て挨拶する素振りも見せない。手に包丁を握っているかも…。宮澤賢治の『注文の多い料理店』を思い出して怖かった。
 悶々の一夜を明かした僕たちは、朝食もそこそこに魔女の館を逃げ出すと未来のわが家へと急行した。
 ざっと4キロ走って到着。ところが、撫で撫でしたいわが家は、まだ柱一本立ち上がっていなかった。土台のコンクリートがベタ打ちされているだけである。このベタ打ち、家にかかる部分の地下に山特有の水脈があるからだとか。
「それって、麓を流れる余笹川の氾濫で西川峰子の実家の牛が流されたって聴いたけど、大雨が来たらこの家もプカプカ行っちゃうなんてことないの?」と事務所のおっちゃんに尋ねたら、「まわりの家にはベタ打ちも無いのだから、それに比べたらこっち方が安全ですよ」と、何だかひどく怪しげな答え。もう引き返せない。(深く考えないことだ)と、自分で自分を説得した。
 すぐ近くに、こんもりとした森があった。細い道が森の奥へと伸びている。
「どこへ抜けるか行ってみよう」
 僕たちは森に入った。道は、なだらかに下っている。百メートルも行くと川があった。
「わーっ、きれい!」と、都会派の妻も驚嘆する美しさ。クレソンやセリが水辺をびっしり覆っている。
 更に下って行くと車が行き交う道に出た。それを折れると、忽然現れた一軒の館。「わーっ」と僕たちは悲痛の叫びを上げた。何とそれ、いま出て来たばかりの魔女の館だったのだ。宿から4キロ走ったつもりが、森をぐるりと迂回しただけだったらしい。
「キツネに化かされたみたい」
「魔女の魔法にやられたんだよ」
 少し気持ちを暗くしたけれど、「現在」というものは一秒ごとに「過去」になる。え〜い! 過去のことなど捨てっちまえ。ここにあるのは今と未来。今に始まるふる里なのだ。