愛しのわが家が降って来た

 ほどよい温度の湯に体を沈める。このとき僕は、なぜか決まって「よ〜し!」と発する。そして口から歌が流れる。「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川…」とか、「夕焼け 小焼けの 赤とんぼ〜…」みたいなノスタルジックなものが多い。
 歌は絵筆となって、歌詞にある情景を頭の中のカンバスに描き始める。死んだふりをしていた田舎願望の心が、雪を割って出るフキノトウみたいに、もっこもっこり頭の中で持ち上がってゆく。
 都会派の妻は、僕の心に巣喰う田舎願望の心を、長い間、快しとはしていなかった。なぜなら、自身は、より都会に接近し、成ろうことならウォーターフロントの洒落たマンションに住みついて、日々映画やミュージカルを鑑賞し、夜は麻布・青山・六本木界隈のレストランで美食を堪能したいな…ぐらいの夢(のまた夢)を持っていたからだ。
 その妻が、ある日突然、都会派の御旗を引き下ろしての宗旨替えかと思わせる行動に出た。というのも、那須の別荘地分譲を新聞広告で知り、密かに資料を取り寄せたのだ。
「ねえ、この分譲地、見に行ってみる?」と、突然眼前に出された夢もどきのパンフ。「喜ぶ」を忘れて面食らう僕。
 じつはこれ、妻の宗旨替えにあらず。恐れ多くも、田舎に恋い焦がれている僕へのお慈悲だった。一時の慰めごとではない証拠に、手付金まで用意していた。
 僕は欣喜雀躍。飛んで、跳んで、翔んで、廻って、廻って、廻る心の高ぶりよう。間もなくやって来る定年が、心底愛おしいものとなった。
 善は急げ。妻に心変りをさせてはならない。即刻僕は妻共々東北道那須へと走った。
 お目当ての物件は、平和郷という広大な別荘地の中にあった。そこに建てられる四十数戸のカナダハウス。いわば別荘地内に形成された「もう一つの小さな別荘村」。素材もデザインも色調も数パターンの中に統一されているとなれば、欧米風美しさが連想される。
 私道は広々しているし、上下水道も完備されているし、村全体に太陽が行き渡った佇まい。ブラボー。問題があるとすれば妻の心変りだが、現状をお膳立てしたのが妻であってみれば、疑心を持つなどバチが当たる。
 まずはモデルハウスを見た。つぎに分譲地を一つ一つ見て回った。頼みもしないのに、業者が僕らを最初に案内したのは、全部の中で一番安い区画。貧乏人と見抜いたからだろうが、そうであっても、少しはやり方があるだろう。僕は妻の反応を窺いながら(業者め、虎の尾を踏むな!)と心で叫んだ。
 七〜八区画見たあたりで妻が言った。
「ここ、いいわねえ」
 聞くや、僕の心で青い鳥が羽ばたいた。青い鳥が向う空から、ゆっくりと地上に降りて来るものがある。それ、愛しのわが家。
「ここ買う?」が、妻から発せられた二言目。「買う!」と僕はオウム返しの叫びを挙げた。クリスチャンでもないのに、教会の幸せの鐘が左心房あたりでキンカラカ〜ンと打ち鳴らされている。資金だの職場だの、そんなもの眼中にない。財布は妻の掌中だし、職場なんて出がらしのお茶。湯を注いでも、もう味なんか望めない。
(どうせ冷やかしだろう)と思っていたに違いない業者は、妻の出方にびっくらこいた。「千三つ」とか「万が一」とかの言葉はあるが、(こりゃ億一かも?)と思ったようだ。目じりが瞬時にダラリと下がる。無理もない。買う側に立つ僕自身が驚いていたのだから。
 妻はその数十分後、テンパーの手付金をポンと払った。そこに至って、業者は自らのバラ色を確信したのである。
 僕はと言えば、恋の衝動にも似た気分。バッタもその気になれば海を渡るらしいが、妻も渡った。よき伴侶の手の中で、僕はスチャラカ小躍りしていた。