『赤チン』

『赤チン』
 赤チンとはマーキュロクロム液のことで、ヨードチンキではない。ヨードチンキが傷薬だった時代の名残りで、色が赤かったことから「赤いヨードチンキ」を略し「赤チン」との俗称になった。
 昭和二十年代の児童は、おてんとうさまがある限り、屋外を駆けまわる〝良い子〟ばかりだった。男子はチャンバラ、木登り、Sケン、相撲…。女子もゴム飛び、まりつき、石蹴りと、体をフルに使っていた。
 屋内にあっても、鉛筆は小刀で削ったし、台所に立って包丁や火を扱う健気な女の子もいた。みんな行動的だったから、手足の傷は絶えない。その都度塗るのが赤チンだった。ぼくの五〜六年生時は一クラスが六十四名という大所帯だったせいか、膝や肘の赤い薬がやたらと目立った。
 赤チンは昭和五十年ごろを境に殆ど姿を消した。「成分中に水銀が含まれていて製造中止に追い込まれた」との噂もあったが、それは誤り。現在も僅かながら作られている。「傷にはあれが一番」と信じ込んでいるお年寄りが多いからだとか。赤チンが「ガキ大将の勲章」だった時代への郷愁に応えた製造と言える。